ケトン体が人類を救う

この題名の書籍が2015年11月20日に出た。出版されて数日で入手できたので、一気に読んだ。面白いこと、面白いこと!これほど面白い本を最近読んだことがなかった。著者は宗田哲男医師で、専門は産婦人科。本書の副題は「糖質制限でなぜ健康になるのか」とあるので、内容については想像できるであろう。学会での発表を制限され、ポスター発表だけが許されるという専門家からの非難・攻撃にさらされながら、本書を書くに至った経緯が面白い。医学の進歩を阻むのは、それなりの知識を持っている専門家であることが多い。ポーリングのビタミンCに関する知見も非難された。ホッファーのナイアシン(ビタミンB3)も学会の倫理委員会が不当な扱いをした。低血糖症も精神科領域で認められるようになるのに時間がかかった。フェリチンも最近やっと調べられるようになった。専門家である医師が、自分が蓄積した知識を変えようとしないことに問題がある。コレステロールについても、随分前から、「コレステロールの豊富な食べものが数値を上げるのではない。コレステロールは肝臓で作られる。」と言われていた。昨年の4月に厚生労働省がやっとこれまでの知見を変更し、摂取制限を撤廃した。しかし、まだコレステロールを改善する降下剤が処方されている人はかなりいる。この薬剤でうつ状態になり、自殺をしたと推測される事象も報告されている。ある期間、JR中央線で自殺した人の9割が55歳から60歳で、全員がコレステロール降下剤を飲んでいたと報告されている。

ケトン体についての宗田医師の知見によると、お腹の中にいる赤ちゃんのケトン体濃度は高い。赤ちゃんは生まれた直後でも、数週間経過してもケトン濃度が高いという。ケトン体の基準値は76以下であるのに、300~400と高濃度であることを宗田医師は確認している。一方胎児・新生児の血糖値は35mgと低い。宗田医師の研究によると、母体は高濃度(2000以上)のケトン体を製造して赤ちゃんに供給していることがわかってきた。人間にはブドウ糖によるエネルギー代謝と、ケトン体によるエネルギー代謝がある。不定愁訴を伴う低血糖症の治療では、これまで血糖値が急上昇する食べ物を避けて、少量頻回食が勧められてきたが、ケトン体エネルギーを使う方法なら、低血糖症の治療にも有効な知見なのだ。つまり糖質制限食なら血糖値の乱高下はなく、仮に血糖値が低値になっても、エネルギー不足にはならない。宗田医師は、糖質制限食を導入して以来、帝王切開も胎児を守るための誘発分娩も妊娠高血圧症候群も激減したと報告している。そして自らの糖尿病、高血圧症、高脂血症が治癒したと報告しているが、これまでの専門家の反応を見ている限り、これが受け入れられるようになるには、残念ながら何十年も経過するだろう。同様に選択理論が常識になるのにも時間はかかるだろう。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

(日本選択理論心理学会、「ニュースレター」73号より)

自己愛を推奨することへの疑問

 随分昔のことになる。米国でカウンセリング心理学を学んでいたとき、多くの人が「自己愛」を推奨していた。自分を愛することができなければ人を愛することはできない、と。また、自分を愛するとは自分を好きになることだと言われてきた。私はずっと疑問に思っていた。

人を好きという感覚はわかるが、自分を好きになった人はどんな感覚なのだろうか。私が女性を好きになると、男性を好きになるのとは違って、ホンワカした感じになる。しかし、自分が自分を好きになってホンワカした感じを持つとは思えない。誰にでも、「好きな人」、「好きでない人」、「好きでも嫌いでもない人」がいるだろう。通常これは他人に関することで、自分を好き嫌いの対象にはしていない。自分を好きにならなければいけない理由はあるのだろうか?

「あなたの敵を愛せよ」という聖書は、あなたの敵を好きになりなさい、とは教えていない。もし、言われていたら絶望的な感じになる。「愛する」は、「好きになる」の同意語ではない。好きで結婚しても好きでなくなることがある。愛するとは好きでなくなっても、その人を捨てないこと、と言えるかもしれない。好きか嫌いかは感情領域の問題で、愛するとは行為・思考領域と考えられる。敵を好きにならなくても、敵を愛することはできる。敵が飢えているときに、食べ物を提供することは、愛の行為である。好きにならなくても可能だ。誰かが歌っている。Love is something you do.「愛は何かをすることだ」と。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と教える聖書は、自分を愛することは、ことさら勧めなくても誰もがしている、という前提に立っている。自分を愛することや好きになることがことさら重要なら、聖書が「自分を愛せよ」「自分を好きになれ」と教えていてもいいはずだが、そのようなことを教えてはいない。

ブロッコリーが好きでない人にブロッコリーを「好きになりなさい」はハードルが高い。しかし、「ブロッコリーを好きにならなくてもいいよ。でも体にいいから食べなさい」と言われれば食べる人もいる。自分を好きにならなくても良いが、「自分の価値を認めなさい」、「自分は自分でいいんだよ」と受け入れなさいと言われる方が、自分を「好きになりなさい」よりも受け入れやすい。価値があるのは、自分は唯一無二のかけがえのない存在であるからだ。また、「好きな友人にはどんな特徴がある?」と聴き、その人の持っている特徴(誠実、楽しい、思いやり、博学、人の悪口を言わない、等)を身につけるようにするほうが教育現場では実用的ではないか。自己愛は辞書によるとナルシシズムと出てくる。推奨されるものではない。「自分を愛する者」は聖書では推奨リストには入っていない。利己的な傾向の人として避けられている。               柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

(日本選択理論心理学会 ニュースレター72号より)

 

教師はマネジャー

  • グラッサーの書いた『クォリティスクール』の副題は、英文では「強制しないで生徒を管理する」であった。「管理」という言葉に違和感を感じる学校関係者は少なくない。管理教育という言葉からは、自由裁量を与えないで、規則・指示に従うことが求められる状況が浮かんで来るのかもしれない。言葉の意味は、言葉にあるのではなく、人の中にある、と言われるように、「管理」という言葉が意味するところは、人それぞれだ。部活のお世話をする女子マネを連想する人もいる。『クォリティスクール』の中でグラッサーが言いたかったのは、「教師はマネジャーでもある。強制のあるボスマネジメントではなく、リードマネジメントを身につけて対応すれば」生徒は成功するということだった。教師は学級経営あるいは学校運営という言葉は日頃から使っている。学級経営を英語では、クラスマネジメントという。マネジメントは経営、運用、管理の意味で使われる。福祉領域ではケアマネという言葉も日常的に使われる。好む好まざるに拘わらず、教師はマネジメントをしている。校長、教頭の管理者だけが、マネジメントをしているのではない。ボスマネジメントという言葉からは、悪い意味での管理が連想されるだろう。「とにかく言われたようにやれ」というような高圧的な手法だ。言うことが聞けないなら首だ、という脅迫的言葉は職場で耳にすることがある。では、ボスマネジメントの対極には何が来るのだろう。選択理論を学んだ人の中で、ボスマネジメントの対極がリードマネジメントだと誤解している人がいる。しかし、ボスマネジメントの対極はレッセフェール(放任主義的)マネジメントだ。リードマネジメントはこの二つの対極の間にある。対極の真ん中から右寄りの人もあり、左寄りの人もあるだろう。グラッサーは、デミングが知らずにしていたことは、まさに選択理論そのものだったと聞いてから、デミングが選択理論を知っていたら、もっと彼の働きは広まっていただろうと考え、『選択理論マネジャー』を著した。選択理論に基づくマネジメントを、グラッサーはリードマネジメントと呼んでいる。教師も自分がマネジメントをする立場にあることを認めて、ボスマネジメントではなく、放任主義でもなく、リードマネジメントをしっかり身につける必要がある。会社の社員には給与が支払われるが、学校では生徒に給与は支払われない。学校でのマネジメントが困難である理由は、これだけではない。学校は幾つもの点で、普通の会社組織と違っている。教師はマネジャーで、生徒は社員、そして同時にプロダクトでもある。また、保護者と生徒は顧客でもある。世界のクォリティスクール関係者は、こうしたことを日頃から話題にしている。教師はマネジメントをする立場にいることをすんなり受け入れている。学級経営が教師の任務の一つであるなら、教師は経営者ではないのか。経営はマネジメントで、教師はマネジャーである。しかし、教師はボスマネジャーになってはならない。強制のあるところに上質は生まれないからだ。               柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

グラッサーの教育改革再考(成績について)

グラッサーの三番目の著作は、『落語者なき学校』(1969)である。これは1965年に発行された『現実療法』が社会に及ぼした大きな影響と同様、学校関係者に大きな影響を与えた。グラッサーが非行少女たちのためのヴェンチューラ校に関わっているときは、コテッジ・ミーティング、学校ではクラス・ミーティングを主導した。1969年の講演で、ここ5−6年の間に1500回から2000回クラス・ミーティングを主導したと語った。グラッサーが学校に講師として呼ばれると、生徒たちの代表を何人か集めて、講堂に聴衆を集め、模擬クラス・ミーティングをしたものだ。ある時、成績はあったほうが良いか、どうかで、話し合いが進んだ時、生徒の多くは、成績はあったほうが良いと答えた。親も成績を望むし、この学区で成績がなくなったら、成績のある学校に転校するなどの意見が出た。このような雰囲気で進んでいた話し合いだったが、「では、この話し合いにも成績をつけてもらってもいいか?」と質問されると、流れが変わった。成績をつけられるなら、ここに来なかった、自由に発言できない、等々の反応となった。教師たちの関心事は、教育委員会が成績なしの学校を認めないだろう、どうしたらそのような学校が創れるかということになった。
グラッサーは、エドワァーズ・デミングの「14ポインツ」で自分がもっとも重要と思うものは、組織のなかから「恐れを取り除く」事としている。
日本でのことであるが、学校で恐れを取り除くにはどうしたらよいか、という話し合いになったときに、一人の教員が、「生徒は試験を恐れている」と答えた。試験を恐れるのは失敗を恐れるからだ。日本で、「成績なしの学校」は不可能なのだろうか。
私が大学教員のときに、成績をつけることが期待されていた。私は、模擬試験の問題を出して、前もって取り組んでもらい、試験当日は、教科書もノートも見て良いという試験問題を準備した。カンニングを監視しなければならないような問題ではなく、試験当日は、「隣の人の答えを見ても良いが、隣に誰が座っているか気をつけるように」と言って、笑いを得た。これだけでも試験の恐れは随分取り除かれるはずだ。答案用紙の下部には、「自己評価」欄を設けて、出席、課題、プレゼン、等の自己評価をしてもらい、成績のランクを上げられそうな学生には、連絡して、今79点だが、何かの取り組みをして、ランクアップして80点にしたいなら、何をいついつまでに提出するか考えてもらう。
グラッサーの学んだ医学部には成績がなかった。入学したときに学生が言われた事は、選ばれて入って来たので、全員が医師になる。心配しないで勉学を楽しむようにということだった。グラッサーの成績のない学校の構想は、自らの経験にも根ざしている。
柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)
(ニュースレターより)

グラッサーの認めた過ちと率直な反省

誰にでも過ちはある。基本的欲求の段階説を提唱したA. マズローは、晩年、側近の者に、欲求を段階的に捉えていたのは間違いだったと言った。私はこの話しをブラッド・グリーン博士から聞いた。(グリーンはアポロハイスクールの校長だった。)マズローは何も言わずにこの世を去ることもできたはずだが、恐らく何年にも渡って考えあぐねていたのであろう。グラッサーの提唱する基本的欲求には段階はなく、強弱があり、この強弱がその人の性格となって現れる,と説明される。基本的欲求を段階説でない捉え方のほうが使いやすい。

グラッサーは「当然の結果」という概念をあるときから、使わないとした。外的コントロールになってしまうことが多いからだと言う。

グラッサーは、まだ教育訓練センターがあった頃、1977年「テン・ステップス」と呼ばれるプログラムを開発し、このプログラムは多くの学校で活用された。規律違反の問題への対処の仕方を教えるものだ。これは多くの学校関係者に受け入れられた。「停学処分は中学校、高校で50%から80%減少。「テン・ステップス」を導入した中学校では落書きが40%から90%減少。テキサス州ヒューストン市のジャーシー・ヴィレッジ高校(Jersey Village High School)の証言によると、この手法が導入されて以来、規律違反者の再犯は88%減、けんか90%減。中途退学は18%から6.3%に減少した。」(グラッサーの伝記より)これほど効果のあるものを、グラッサーは後に「間違いだった」と撤回している。

同じ1977年グラッサーは選択理論の基になる書籍『行動:知覚のコントロール』(パワーズ著)を手にして読み始めていた。ここから選択理論が提唱されるようになるのであるが、グラッサーは「動機」についてこれまでとは違う考え方をするようになった。『落伍者なき学校』(1969)を世にだしたときには、まだ気付いていないことだった。外的コントロールを徹底して排除しようとするときに、自ら創った手法さえ「間違いだった」と排除した。私が同じような立場にいたときに、これほど効果があると賞賛されている「テン・ステップス」を排除しただろうか?こう自問自答するときに、グラッサーの素直さ、誠実さが感じられる。それ自体問題のない書籍でも概念でも、外的コントロールの要素が入っているものは、排除された。その一例が『Restitution』であり、『テン・ステップス』だった。日本でも学校現場での規律違反にどう対処するか、という類いの書籍やプログラムが、われわれの仲間から出版されないことを願うものである。グラッサーの主張は、システムを変えることである。これこそが,根本的な問題解決なのだ。過ちを繰り返してはならない。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)Newsletterより

外的コントロールについて

  • これまで選択理論を学んだ人の中で、他の人が自分に不快なことを言った場合、外的コントロールを使われたと口にすることがあります。確かに聞きたくないことを聞くときに、比較の場の天秤が傾きます。天秤が傾くので、私たちは行動するのですが、天秤が傾くことことがすべて外的コントロールではありません。行動が誘発される前段階では天秤は傾くのです。不快なものがすべて外的コントロールではありません。ボスマネジメントをする上司に対して部下は黙っていないで「私メッセージ」を使うことがあります。「課長にそう言われたとき,私は怖いと感じました。」「私メッセージ」は外的コントロールではありません。自分の感じたことを表現するコミュニケーションの方法です。 ある人の意見を聞いて、思わずうなずくことがあります。その意見が不快なものであるときに,うなずいた人たちが皆自分に外的コントロールを使ったと表現する人がありますが、これも外的コントロールととるのは不適切です。外的コントロールは自分がされたかどうかではなく、自分が相手にしているかどうかを問題にすべきです。 また、自分に対して外的コントロールを使っているという表現を耳にすることがありますが、これも多用はしないほうがいいでしょう。自分を責めている、批判している、等々は外的コントロールと言わずに,自分を責めている、批判していると言うほうがいいでしょう。自分に外的コントロールを使っているという表現はグラッサー先生の書籍に一度程度あるかもしれませんが、講演等で聞いたことはありません。 外的コントロールという言葉を使うようになる前は、「刺激・反応理論」(SR理論)が使われていました。SRのままだったら、SRをされたという表現は不適切です。 好きな人に触れられるのはセクハラではなく嬉しことで、好きでない人から触れられるのはセクハラと言われます。外的コントロールをセクハラと対比して、嫌なことはすべて外的コントロールというのは不適切です。 人の話をさえぎることは必ずしも外的コントロールではありません。違いの交渉では、さえぎることもあり得ることです。文化の違いでしょうが、WGI国際理事会で人の言葉をさえぎらないでいると,言いたいことを言えないことがしばしばです。講座を担当している講師が、受講生の話をさえぎることもあります。受講生の独壇場にしないためです。講師は議長役もしているわけですから、議長にはそれなりの権限があります。 「刺激・反応理論」から「外的コントロール」という言葉に変わったことから、混乱が起こっていますが、「外的コントロール」を、人を責める道具にしないことが必要だと考えます。 柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

選択理論と犯罪矯正に関する研究

選択理論の効用について、それぞれの分野で研究が進んでいる。学校、職場、家族関係はもとよりのこと、犯罪矯正の分野でも興味深い研究がなされている。以前CIW(California Institution for Women)について報告したことがあるが、今回は本年(2014年)始めに犯罪学の専門誌に掲載された関連研究を紹介したい。米国での女性犯罪者数は1980年代のそれと比較すると5倍増と報告されている。一人の犯罪者を収監すると一人当たり年間470万円の経費がかかるとされている。そして刑務所を出て3年以内に57%が再度逮捕されるという厳しい現実がある。

発表された論文によると、2011年に96人の女性受刑者に研究に参加してもらっている。自分から選択理論を学びたいという人々が対象である。CTC(Choice Theory Connections)のクラスは5段階ある。段階1(基礎20時間)、段階2(中級20時間)、段階3(基礎プラクティカム30時間)、段階4(上級プラクティカム30時間)、段階5(認定30時間と10時間のクラス外の課題)。段階4の受刑者は、クラス外で、段階1−3の受刑者のメンターとして支援者も務める。今回の研究論文の対象者は段階1(n=58人)と段階4(n=38人)の受刑者である。尺度としては5種類が使われ、ストレス、マインドフルネス、感情の抑制、満足感、抑うつ・ハピネスを測定した。結果としては、すべての尺度で改善が見られ、CTCの効果が確認された。特に早い段階でのトレーニングは女性受刑者のストレスを軽減し,その効果は長期に渡ることが確認された。段階4の受刑者は、段階1の受刑者よりも安定していることも判明している。これまでに受講した受刑者は476人に及び、順番待ちのリストに載っている受刑者は219人いる。筆者が訪問した2010年秋のリストはこれほど多くはなかったので、受講したい人は確実に増えている。これまでに判明している受講済みの受刑者の再犯率は2.9%で、米国全体の女性受刑者の再犯率57%と比べると効果の程を窺い知ることができる。

カリフォルニア州には、スリー・ストライクスという言葉で知られる厳罰がある。3度目の犯罪が軽微であっても、3度目の空振りは「アウト」とされ、ライファー(終身刑)となる。厳罰は必ずしも犯罪抑制の効果はない。むしろ CTCのようなプログラムに予算措置をするほうがはるかに有効である。刑務所に入る前ならもっと有効であることはだれでも想像できよう。

研究の詳細は下記の論文から得ることができる。http://ijo.sagepub.com/content/early/2014/01/15/0306624X13520129

International Journal of Offender Therapy and Comparative Criminology.(Jan. 16, 2014) “Effectiveness of Choice Theory Connections: A Cross-Sectional and Comparative Analysis of California Female Inmates”

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

グラッサー博士逝く

日本時間2013年8月24日午前10時30分、ロスの自宅でグラッサー博士(Wiiliam Glasser, MD, 1925-2013)は息を引き取られました。享年88歳。夏休みに息子さん、お孫さんが来ておられて、家族で楽しい時を過ごされていた直後のことでした。肺炎が直接の原因だったようです。同じ時刻、私は青森県五所川原市三輪小学校で、教師、保護者、一般を対象にした講演会を9時から12時まで担当し、まさにグラッサー先生のことを話していました。

2012年ロスで開催された国際大会は、ひょっとしてご本人が参加できる最後の大会かもしれないということで、開催地は早くからロスと決まり、グラッサー先生に感謝の言葉を述べる機会も設けられていました。

精神病の伝統的な見解からはずれていたグラッサー先生は、UCLAでの医師としての研修を終えたときに、使いものにならないと「放り出された」という表現をするほどの異分子的存在でした。当時主流であった精神分析を受け入れなかったからでしょう。患者を紹介してもらえないままの開業は大変だったと容易に察しられます。しかし、それが故に比較的時間的にもゆとりがあったということで、ヴェンチューラ学院との関わりが始まり,1960年『現実療法』が世に出たのです。本書は150万冊売れました。コーニング社が資金提供をしている財団が企画した講演会講師に若干36歳で選ばれ、関係者から「あなたはこれからの人であると見ている」と選抜理由を説明されています。1989年、ミルトン・エリクソン財団の主催する大会において、傑出したパイオニア的心理療法家として認められました。この大会で「選択理論のようなしっかりした理論を基盤にした心理療法は他にない」と言い切っても反対者はいなかったと、後日話されていました。2004年、アメリカカウンセリング学会(American Counseling Association)からは「伝説的カウンセラー賞」を受賞し、2005年、アメリカ心理療法学会(American Psychotherapy Association)から、マスターセラピスト賞を受賞し、大学からは名誉博士号も授与されています。2012年5月、カリフォルニア州の州議会はグラッサー博士を傑出した市民として表彰しています。

グラッサー博士は精神科医師でありながら、向精神薬の処方をしたことがないと言われていました。問題は「不幸である」ことであり、不幸であるのは重要な人間関係がうまく機能していないからであると言われています。

1971年『タイムズ』誌が報告している情報によれば、600の学校と8900人の教師がグラッサー博士の教えるアイディアをとり入れているようですが、グラッサー博士の影響がどこまで及んでいるかは計り知れません。世界60数カ国に広がっています。

2014年7月9日—12日、トロントで開催されるウィリアムグラッサー国際大会でお別れ会が企画されています。謹んで哀悼の意を表します。   柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

体罰についてまだ認識が甘いのでは?

大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の2年生男子生徒(17歳)が顧問の男性教諭の体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下徹大阪市長は、「口で言って聞かなければ手を出すときもある」などと発言してきたが、「自分の認識は甘すぎた」と潔く反省の弁を述べた(1月13日朝日新聞)。好感の持てる歓迎すべき発言である。
 しかし、1月15日の朝日新聞では、「他人に迷惑をかけるとか、危害を加えるといったときには、もしかすると、先生が手をあげることを認めなければ行けない場合があるかもしれない」とも言ったと報道された。前言より後退した考え方である。残念ながらこのような考え方であれば、また事件は起こり得る。実のところ、命の大切さを痛みとともに教えようとした事件が今回の自殺事件に先駆けて起こっていた。
 この自殺事件に先立つ2008年、大阪市教委によると、同じ学校で体罰があったが、危険を伴うピラミッドの練習中のことであり、落下事故を起こす恐れがあったので、顔面を2、3発たたいて、襟首を持って引倒し、さらに1発たたいたという事件で、この顧問の処分を行わなかったという(朝日新聞1月14日)。命の大切さを教えるための暴力は容認され、やがては後に別の命が消えて行った。あのとき、暴力はどんな場合でも容認されないとしていたら、今回の事件は防げたかもしれない。
 1月16日の朝日新聞で、沖縄・興南高校野球部監督我喜屋優監督は、「殴り聞かせる」というような指導をしてはならないと述べている。しかし、母親が我が子をたたくことはあります、とも述べている。例としてあげられているのが、赤信号を無視して渡った時、車にひかれて死ぬかもしれない。命の大切さを、痛みとともに教えることは必要かもしれません、と言う。さらに同監督は、社会人野球の監督だった時、選手を殴ったことがあるという。車で事故を起こしたので、人の命が奪われたら、みんなに迷惑をかけることになる、と教えたかった。親の身になって叱ることは必要です。選手の胸ぐらをつかみ、真剣さを伝えることもあります、と述べている。このような認識で良いのだろうか?親は子どものしつけと称していても、それが児童虐待となって報告される事件が後を絶たない。しつけと虐待の区別は容易ではない。否、区別出来ない。
 元巨人・桑田選手は、「私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません」とどんな時でも体罰をしないことを勧めている。そんな中、伊吹衆議院議長が講演の質疑応答で、体罰容認発言をしたと報じられた。またそれを指示する他の国会議員の発言もあった。「体罰は必要」と回答する人は、少なくない。83%に上る(朝日新聞1月12日)。体罰を自らが受けてその有効性に疑問を持つまで、体罰容認は続くのだろうか?残念ながら体罰容認の根は深い。
                      柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

選択理論のラジオ番組

選択理論のラジオ番組が南海放送ラジオで始まりました。

毎月第2・4・5日曜日の午後1時半~1時40分

ポッドキャストでもお聞きいただけますので
聞き逃した方、愛媛県以外の方にも聞いていただけます。

南海放送ラジオ
「ラジオセラピー~幸せを育む心理学」

南海放送のホームページ  http://www.rnb.co.jp/
のページの中頃にある 「what’s new」のところから入ってください。
10分間の素敵な番組になっています。

再犯率の軽減をもたらす選択理論

大学のサバティカルをいただいて米国のカルフォルニア州ロス近辺に滞在しました。ロスの交通マップにも掲載されているロヨラマリマウント大学 (Loyola Marymount University-LMU)の近くにアパートを見つけて、大学の関係者と関わりながら3カ月ほど滞在しました。ロス郊外にCIW(California Institution for Women)という歴史の古い女性対象の刑務所があり、選択理論を学んだ大学生が3年前からそこで受刑者に選択理論を教えることで、選択理論が刑務所内に広まっていきました。CIWは1952に設立されています。収容人数は2250人と聞きました。加州には33の刑務所があり、女性対象は3つです。19万人が刑務所にいて、出所して7カ月で再入所すると聞いています。今は刑務所内の教育担当部が独自の教育プログラムのなかに選択理論の講座を組み込んでいて、希望者が受講できるようになっています。私たちが刑務所を訪れたときには、参加できる人は集まってくださいと、知らされていたので、20名以上の人が集まってきて、選択理論を知って自分がどのように変わったかを話してくれました。ライファー(Lifer)と呼ばれる人たちは終身刑です。中にはもう21年いる、29年いる、という人たちがいました。選択理論を知った人たちは、怒りをコントロールする術を身につけたようで、問題行動がなくなっています。自分の行動は自分の選択だということを自覚している人は、人のせいにしないで有意義な人生を送っています。刑務所のなかを歩いていて、以前受講したライファーの人に会いました。何とそのひとりは刑務所のなかにいながら大学院で学び博士号を取得しています。この選択理論の刑務所での普及にLMUが大きな貢献をしています。LMUではグラッサー財団を創立する試みがあり、その前段階として寄付金をこのCIWのプロジェクトに使って、刑務所内で選択理論関連書籍が読めるようになっています。全米にロヨラ系の大学が20くらいあるようです。かの有名なジョージタウン大学もそのひとつです。こうしたニュースは関連大学が共有しているようです。今回CIWで選択理論を教えるというプログラムを通して学んだことは、もっと選択理論に自信を持っていいということです。再犯率60%は普通のようですが、このCIWで選択理論を学んだ人たちはここ3年間で再犯率ゼロ%の記録を打ち立てています。選択理論を刑務所内で学びたいという意思表示をして順番を待っている人が、私たちが訪問した日に167人いると報告されました。日ごとに数が増えていると聞きました。現在学んでいる人が84人。この人たちは夜の自由時間に自分の意思で学びたいと申し出た人たちです。LMUでは規則違反を犯した学生を罰することをせずに、選択理論を学ぶ機会を与えていたのも驚きでした。
柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

全国学力テストの問題点

全国学力テストが全員参加ではなくなり抽出調査となったことへの反論として、2009年11月29日読売新聞の社説で、「適度な競争こそ刺激になる」と論じられていた。社説は抽出ではなく全校が参加するテストにするべきだと主張する。この主張には問題点がふたつある。ひとつ目は、教育界での競争についての考え方である。社説が主張する「適度な競争」という「適度」はだれが決めるのか。二つ目は、全国学力テストは良いものだと考えているが本当にそうなのか。競争に関しては、激しい競争は問題だが、適度な競争は教育界では必要であると多くの人は考えているようだ。ところがクォリティ・スクールでは、競争ではなく協力することで、最高の学習ができると考える。ジョンソン(Johnson,1993)らは、『学習の輪』を著し、単独よりも競争よりも、共同学習の有効性を説いている。
学力テストについて反対の立場を常に主張している米国のリンダ・マクニール(Linda McNeil)博士の名前は、グラッサー博士の著書で随分前に知った。以来気になる存在であった。アメリカでは標準化された学力テストを生徒は何度も受けなければならない。フロリダ州のブレイクアカデミー校を訪ねたときに、転校して来た生徒が家に帰って、「お母さん、今度の学校少し変だよ。だれもエフキャット(FCAT)の話をしていないよ。」と話したと聞く。ブレイクアカデミーは選択理論に基づくグラッサー・クォリティ・スクールの取り組みをしている学校で、学力テストに焦点をほとんど当てていない。FCATはFlorida Comprehensive Assessment Testのことで、日本でいう小学3年から中学2年まで毎年、そして高校1年と2年に受験しなければならない。小学4年生に進級するために小学3年生で受験してパスしなければならない。アルフィー・コーン(Alfie Kohn)はThe Case Against Standardized Testingを著して、学力テストの問題点を指摘している。皮相的な見方からは学力テストの問題点には気付かないが、今の日本の状況でも、プレッシャーを感じた学校が得点を上げるためにしていることを漏れ聞いている。得点の取れない生徒を対象外としたり、教師が得点を意識するあまり、授業そのものが学力テストのために予備校化するということがあり得るようだ。大阪府でも知事が全国比較で得点の低いことを意識して、学校評価、ひいては教員評価に結びつくようなプレッシャーを感じさせる発言をしている。教育改革のための学力テストのはずであるが、学力テストをすればするほど、教育の質が低下するという皮肉なことが起こっている。各界のリーダーの多くは、必ずしも教育の専門家ではない。こういう人たちが教育の根幹となる政策を立案し、教育と企業を同一レベルで考え、難しくすることは、良くすることであるという誤った考えから、真に生徒のためにならない政策が実施されている。学力テストについては米国の失敗から学ぶべきであろう。 柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

ホッファー(A.Hoffer)博士逝く

2009527日午後310分、ホッファー博士は息子さんと娘さん、それにカーター博士に見守られて静かに逝かれた。19171111日生まれで、満91歳であった。8年前に奥さんを亡くされており、11年前には息子さんをひとり亡くされている。娘さんと息子さん、そして4人のお孫さんが残された。精神医学の領域だけでなく、医学の領域全体で、偉大な足跡を残された。特に、精神病の治療の改善に取り組み、多くの実績を残された。

 私がホッファー博士のことを知ったのは、米国留学をしていた1968年から1978年の間であった。恐らく後半であったと思う。統合失調症の80パーセントは治ると主張されていることを何かで読み、それが頭の片隅にいつもあって、気になっていた。当時も今も統合失調症に「治癒」ということばは不適切であると言われ「寛快」ということばが使われている。ホッファー博士との紙媒体での出会いがあったからこそ、私は分子栄養学にも目覚め、発達障害の代替療法も受け入れやすかったのだと思う。何年か前、ニューヨークでホッファー博士と出会い、HODテストの日本語版(アチーブメント出版)もその後出版し、時折メールで質問もさせていただき、ナイアシンは肝臓障害を引き起こさないということも教えていただいた。ホッファー博士著『ビタミンB3の効果』『統合失調症を治す』は大沢博先生によって翻訳され、日本における精神疾患の治療の改善に大きな貢献がなされている。

 ビタミンCとナイアシンを使った統合失調症の治療は、多くの成果を生み出している。アドレナリンが酸化してアドレノクロムに変化すると、メスカリンという幻覚誘発剤と似たような化学物質となる。その酸化を防ぐ安全な方法として、栄養療法が行なわれるようになった。ノーベル賞受賞学者のライナス・ポーリング博士(19011994)は分子整合医学Orthomolecular Medicineということばを造りだした。ホッファー博士と連携しながら、分子整合医学の発展に寄与された。Recovery from the Hell of Schizophrenia (Carlene Hope)に寄稿を求められて、ホッファー博士は「統合失調症の遺伝子がうらやましい」とまで書かれている。統合失調症患者が創造的であることと、治癒させることができるとのの確信があるからであろう。ひとりの青年が統合失調症と診断されて入院したときに、病院の主治医は一生出られないので、息子さんがいたということは忘れなさいと父親にいった。父親は調査の結果、ホッファー博士と連絡をとり、息子さんは退院し、その後医師になっている。ホッファー博士は言った。その主治医は正しい。従来のやり方では退院は見込めないからだと。ホッファー博士、ありがとう。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

化学物質アレルギーと身体の不調

~「自閉症や発達障がい」にも関連しているアレルギーとは~

「化学物質過敏症(CS)」という名前を聞かれたことがありますか?様々な化学物質に囲まれて暮らしている私たちには、色々な化学物質を身体に取り込むことによってアレルギー反応を起こしています。皮膚に起こるのがアトピー性皮膚炎、呼吸器に起こるのが喘息、そして脳に起こるものにはどんなものがあるのでしょうか?アレルギーの起こるメカニズム、どうしたらそれらを取り込まない生活ができるのか、もし取り込んでしまっていて既に反応があった場合、どうやって解毒するのか?などを教えていただきます。身体の不調や子どもの自閉症などにも種々の化学物質の相関性を指摘する声もあります。是非とも、今、私たちの「暮らし方」や「食と環境」について考えてみましょう。

日時:2009年5月21日(木)午後1時半~3時半

講演会参加費:800円(税込み) 

保育を必要な方は別途(700円)お申し込み

講師:吹角隆之先生(ふくずみアレルギー科院長)

大阪大学大学院博士課程修了。大阪府立羽曳野病院にてアトピー性皮膚炎を中心としたアレルギー性皮膚疾患、食物アレルギー、化学物質過敏症に取り組む。2003年9月大阪市中央区に、ふくずみアレルギー科を開設。 日本皮膚科学会 皮 膚科専門医 日本アレルギー学会 認定専門医。

お願い:香料の強いもの、合成洗剤や柔軟材の香りなどは、敏感な化学物質過敏症(CS)の患者さんが嗅ぐと、気分や症状が悪くなります。CS患者さんも参加されると思いますので、参加者の皆様が各自注意をしてくださると助かります。

場所: 京都YWCAホール

問合わせ・申込み: 京都YWCAまで電話、ファックス・Emailにて必ずお申し込みください。

Tel. 075-431-0351 Fax 075-431-0352 Email: office@kyoto.ywca.or.jp

主催: 京都YWCA 生涯教育部

援助専門職の奢(おご)り

小林美佳著『性犯罪被害にあうということ』(朝日新聞出版、2008)を読んで考えた。親のあり方、兄弟姉妹のあり方、友人のあり方、恋人のあり方、そして専門職のあり方について考えた。人はそれぞれの立場で最善と思う対応をしたのだと思うのであるが、親の外的コントロールに辟易したり、自分が援助専門職として対峙したときに、果たして自分は援助専門職にふさわしい振る舞いが出来ただろうかと考えさせられたりした。彼女は24歳の夏見知らぬ男二人にレイプされた。それも道を教えるという彼女の親切に対しての裏切り行為であった。そのときの彼女の気持ちは「人が人を裏切った瞬間がとても汚いものに思えて寂しいし哀しかった」(141p.)という言葉に表されている。彼女は何か所かカウンセリングを受ける場所を探したが、電話での受付や白衣を着たカウンセラーに、「つらかったですね」「分かりますよ」と嘘くさい言葉や笑顔を浮かべられて、逃げ帰った経験をしている。そして事件後2年以上経ってから、あるカウンセラーとめぐり会う。カウンセラーは察するにパーソン・センタード・アプローチの立場であろう。このカウンセラーに彼女は信頼を寄せることができるようになり、癒されてゆく。そして彼女は心理カウンセラーの専門学校に仕事をしながら通うようになる。最初の授業でどんなことに役立てたいかと聞かれ、「犯罪被害者、特に性犯罪被害者の危機介入やカウンセリングをしたい」とクラスで答える。これに対して講師は「相手に気持ちを押しつけていない?・・・今のあなたの答えは意識から出たもの。その奥にある無意識に気づいていない・・・」と講釈が続いた。彼女は「正直に答えたことを後悔し、怒りが込み上げてきた」と記している。援助専門職の奢りとも思えるやりとりである。それでも彼女は講師を尊敬できないままこの学校に1年通い通した。そして、自分の経験を生かす場はないものかと被害者支援都民センターに連絡をとってみる。20歳代の彼女にはスタッフになることもボランティアになる機会も与えられていないことを知る。自助グルーブについて聞いてみると、そのようなグループは存在しないとのこと。ボランティアも40歳以上でないと応募資格がないことを知る。しかし、実際には30歳以上の募集であり、別のところでは自助グループが存在していた。援助専門職の情報がアップデイトされていないことから来る不十分な情報である。20歳代の彼女はあえて応募してみるが何の連絡もなかった。電話をしてみると年齢対象外であるために「除外した」とのこと。どうして年齢制限があり20歳代ではボランティア活動の講習を受けられない理由も聞かされていない。実名で性犯罪被害者であることを話す彼女から、援助専門職についている私たちが学べることは多いと思う。奢ることなく謙虚に。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

日本選択理論心理学会ニュースレター50号より

解明したい疑惑–奇異な犯罪を引き起こしているものは何か?–日本選択理論心理学会Newsletter47号より

 福島母親殺害事件は、母親の頭部と腕を切断、そしてその頭部をカバンに入れて警察に出頭という、極めて異常な行動を高校生がとったことで社会を戦慄させた。この種の異常な事件が起こる度に報道記事に注意していると、精神科への通院歴があることが小さく記されている。母親を殺害したこの高校生が、もし精神科で薬物を処方されていなかったら、この事件は起きていなかったかもしれない。そう考えるのは私だけなのだろうか。精神科にかかりながら、この種の事件が起こるということは、精神科の治療の無力さを示唆している。もちろん気力を奪い取るほどの強力な薬物を投与していれば、事件は起きなかったかもしれないが、通院患者にそのような薬物治療が許されるはずはない。精神科では許される範囲内での薬物が処方されたはずである。そして、その薬物の副作用は使用過程で徐々に知られていく。パキシル(抗うつ剤)の使用については、18歳未満に処方されることが一時禁止されたことがあった。若者に処方すると、自殺念慮が惹起されるという副作用が知られるようになったからだ。しかし、医学界の反対で18歳未満の若者にパキシルは今なお処方され続けている。同じSSRI系のプロザックは米国で処方されており、自殺や殺人事件が多発して、裁判で争われている。

デパス(抗不安薬)の副作用には、興奮、錯乱がリストされている。パキシル(抗うつ剤)には興奮、錯乱、幻覚、せん妄、感情鈍麻、リスパダール(統合失調治療薬)には不安・焦燥、興奮、抑うつ、妄想、幻覚、自殺企図、リタリン(中枢神経興奮剤)には易怒・攻撃的、幻覚、妄想などが列挙されている。1998年、抗うつ剤の売り上げが173億円であったのに、2004年には708億円に伸びている。2000年、統合失調症治療薬の売り上げは372億円であったが、2004年には669億円になっている。抗不安薬・睡眠導入剤の年間売上高は、2004834億円である。

  まだ記憶に生々しい事件は、大阪池田小学校23人殺傷事件である。この事件では8人の小学生が死亡している。犯人はパキシルなどを処方されていた。また、宇治小6年女児刺殺事件の犯人は、学習塾講師で、200310月から抗うつ剤デプロメールを処方されており、2005年には妄想や幻覚が現れるようになっていた。本来なら投与を中止されるべきであったのに、121日には薬が1日2回に増量され、事件は8日後に起こっている。さらに記憶に新しい事件では、秋田県藤里町で主婦が自分の娘を川に投げ落とし、目と鼻の先の近所の男児を殺害した。診療内科で睡眠薬等を処方されていた。奇異な事件のほとんどすべてに向精神薬がからんでいるのは、単なる偶然なのだろうか。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

自閉症治療に関する良い本が2冊出版されました。

『デトックスで治す自閉症』ゲーリー・ゴードン & エーミー・ヤスコ著(青木多香子訳、北原健解説、阿部博幸監修、中央アート出版、2006) 本書は北原氏の解説から読むのがいいかもしれません。RNAによる自閉症治療を理解するのに良い書籍です。原題はThe Puzzle of Autismです。

もう1冊は、『自閉症と広汎性発達障害の生物学的治療法』 ウィリアム・ショー著(グレート・プレインズ研究所、2006)本書の注文は http://www.greatplainslaboratory.com/japanese/home.htm からしかできないと思います。Amazon.comでは扱っていないようです。 本書には自分の子どもの治療に取り組んだKaryn SeroussiさんとPamela Scottさんの体験談が寄せられています。まずはここから読まれるといいでしょう。読めば自閉症は治らない病気ではなく、治る病気であることが分かります。

サドベリー・バレー校が実証していること

先に、9歳まで字が読めなかった子が12歳で大学生になった。10歳まで字が読めなかった子が11歳で大学生になった、というお話を紹介しました。『世界一素敵な学校』-サドベリー・バレー物語-(ダニエル・グリーンバーグ著、大沼安史訳、緑風出版)で、子どもがやる気になるとどんな短期間で、ものにするかが例示されています。9歳になるまで字が読めなかった子が、読む気になったら完璧に読めるようになりました。9歳6カ月で何でも読めるようになっています。この学校では読み方を教えません。読めるようになりたくない?という誘いかけもしません。でもみんな読めるようになるのです。ときに12歳になっても読めない子がいるようですが、そのうち読めるようになり、早い子を追い越すこともあります。算数を学びたいと教師にお願いした子どもたちは、普通の学校なら6年間かけるところをトータル24時間で学びました。週2回、1回30分、24週かけたそうです。子どもが大学に進学したいと思うと、SAT(大学進学適正テスト)を受けることになります。その気になった子どもは、4カ月から5カ月で準備完了となるようです。強制教育がLDを作っているようです。昔この学校はNHKで紹介されたことがあります。教育関係者にはお勧めの書です。

統合失調症と甲状腺疾患

What really causes schizophrenia by Harold D. Foster(2003)を読んで、知ったことですが、統合失調症の人に、甲状腺異常が多いということです。血液検査のときに、T3,FT4, TSH, Tgなどを測ってもらうのがいいでしょうね。長崎に原爆を落とされたときに胎児だった人の統合失調症が、そうでない人よりも高率であるとのこと。チェルノブイリの原発事故の後、5倍の高率で発症しているとのこと。精神疾患と思われていたのに甲状腺疾患から来ているものだった、ということは以前から知っていたのですが、甲状腺疾患と統合失調症とをこのように結びつけた情報は初めてです。