グラッサー博士逝く

日本時間2013年8月24日午前10時30分、ロスの自宅でグラッサー博士(Wiiliam Glasser, MD, 1925-2013)は息を引き取られました。享年88歳。夏休みに息子さん、お孫さんが来ておられて、家族で楽しい時を過ごされていた直後のことでした。肺炎が直接の原因だったようです。同じ時刻、私は青森県五所川原市三輪小学校で、教師、保護者、一般を対象にした講演会を9時から12時まで担当し、まさにグラッサー先生のことを話していました。

2012年ロスで開催された国際大会は、ひょっとしてご本人が参加できる最後の大会かもしれないということで、開催地は早くからロスと決まり、グラッサー先生に感謝の言葉を述べる機会も設けられていました。

精神病の伝統的な見解からはずれていたグラッサー先生は、UCLAでの医師としての研修を終えたときに、使いものにならないと「放り出された」という表現をするほどの異分子的存在でした。当時主流であった精神分析を受け入れなかったからでしょう。患者を紹介してもらえないままの開業は大変だったと容易に察しられます。しかし、それが故に比較的時間的にもゆとりがあったということで、ヴェンチューラ学院との関わりが始まり,1960年『現実療法』が世に出たのです。本書は150万冊売れました。コーニング社が資金提供をしている財団が企画した講演会講師に若干36歳で選ばれ、関係者から「あなたはこれからの人であると見ている」と選抜理由を説明されています。1989年、ミルトン・エリクソン財団の主催する大会において、傑出したパイオニア的心理療法家として認められました。この大会で「選択理論のようなしっかりした理論を基盤にした心理療法は他にない」と言い切っても反対者はいなかったと、後日話されていました。2004年、アメリカカウンセリング学会(American Counseling Association)からは「伝説的カウンセラー賞」を受賞し、2005年、アメリカ心理療法学会(American Psychotherapy Association)から、マスターセラピスト賞を受賞し、大学からは名誉博士号も授与されています。2012年5月、カリフォルニア州の州議会はグラッサー博士を傑出した市民として表彰しています。

グラッサー博士は精神科医師でありながら、向精神薬の処方をしたことがないと言われていました。問題は「不幸である」ことであり、不幸であるのは重要な人間関係がうまく機能していないからであると言われています。

1971年『タイムズ』誌が報告している情報によれば、600の学校と8900人の教師がグラッサー博士の教えるアイディアをとり入れているようですが、グラッサー博士の影響がどこまで及んでいるかは計り知れません。世界60数カ国に広がっています。

2014年7月9日—12日、トロントで開催されるウィリアムグラッサー国際大会でお別れ会が企画されています。謹んで哀悼の意を表します。   柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

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