グラッサーの三番目の著作は、『落語者なき学校』(1969)である。これは1965年に発行された『現実療法』が社会に及ぼした大きな影響と同様、学校関係者に大きな影響を与えた。グラッサーが非行少女たちのためのヴェンチューラ校に関わっているときは、コテッジ・ミーティング、学校ではクラス・ミーティングを主導した。1969年の講演で、ここ5−6年の間に1500回から2000回クラス・ミーティングを主導したと語った。グラッサーが学校に講師として呼ばれると、生徒たちの代表を何人か集めて、講堂に聴衆を集め、模擬クラス・ミーティングをしたものだ。ある時、成績はあったほうが良いか、どうかで、話し合いが進んだ時、生徒の多くは、成績はあったほうが良いと答えた。親も成績を望むし、この学区で成績がなくなったら、成績のある学校に転校するなどの意見が出た。このような雰囲気で進んでいた話し合いだったが、「では、この話し合いにも成績をつけてもらってもいいか?」と質問されると、流れが変わった。成績をつけられるなら、ここに来なかった、自由に発言できない、等々の反応となった。教師たちの関心事は、教育委員会が成績なしの学校を認めないだろう、どうしたらそのような学校が創れるかということになった。
グラッサーは、エドワァーズ・デミングの「14ポインツ」で自分がもっとも重要と思うものは、組織のなかから「恐れを取り除く」事としている。
日本でのことであるが、学校で恐れを取り除くにはどうしたらよいか、という話し合いになったときに、一人の教員が、「生徒は試験を恐れている」と答えた。試験を恐れるのは失敗を恐れるからだ。日本で、「成績なしの学校」は不可能なのだろうか。
私が大学教員のときに、成績をつけることが期待されていた。私は、模擬試験の問題を出して、前もって取り組んでもらい、試験当日は、教科書もノートも見て良いという試験問題を準備した。カンニングを監視しなければならないような問題ではなく、試験当日は、「隣の人の答えを見ても良いが、隣に誰が座っているか気をつけるように」と言って、笑いを得た。これだけでも試験の恐れは随分取り除かれるはずだ。答案用紙の下部には、「自己評価」欄を設けて、出席、課題、プレゼン、等の自己評価をしてもらい、成績のランクを上げられそうな学生には、連絡して、今79点だが、何かの取り組みをして、ランクアップして80点にしたいなら、何をいついつまでに提出するか考えてもらう。
グラッサーの学んだ医学部には成績がなかった。入学したときに学生が言われた事は、選ばれて入って来たので、全員が医師になる。心配しないで勉学を楽しむようにということだった。グラッサーの成績のない学校の構想は、自らの経験にも根ざしている。
柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)
(ニュースレターより)