クォリティの条件と特徴

グラッサーの書籍にクォリティの条件がリストされています。どの書籍でしょう?答えは年次大会で明かすことにしますが、クォリティの条件としてグラッサーは6つ挙げています。分割できる要素があるので、2つ分割してワークブックでは8つにしています。グラッサーは「条件」としていますが、ワークブックでは「条件と特徴」としています。現時点のクォリティはいつでも改善できるという特徴があると考えたからです。
 温かい人間関係を構築するためには「強制」があっては難しいので、グラッサーも強制のない関係を上質の条件として条件1に含めています。条件の一つとして「自己評価」が挙げられていますが、「改善」できる要素を示唆します。こうして6つが8つになりました。クォリティの条件と特徴は、1) 温かい人間関係から生まれる、2) 強制からは生まれない、3) 自己評価から生まれる、4) 有益、5) 最善、6) 改善できる、7) 気分が良い、8) 破壊的でない、の8つです。
 デミングは、「クォリティは定義できないが、見ればわかる」と言いました。しかしグラッサーは基本的欲求と結びつけて考察します。赤ちゃんが布のおむつをしていると、排泄をした時の濡れたおむつの感覚は不快と感じるでしょう。そしてすぐに母親や父親が乾いたおむつと交換してくれた時のすっきり感は嬉しいものです。布のおむつの良さはここにあります。紙おむつでは感じられないものでしょう。自分の快適感に貢献してくれる親は上質世界にバッチリ貼られます。気分の良さを感じることがベースとなり、赤ちゃんは他の欲求を満たすようになります。赤ちゃんはクォリティが何かを早い段階で体験しているのです。おっぱいを飲ませてもらった時の満足感も同じです。飲ませてくれた母親への思いは当然強くなります。
 クォリティにつながる言葉はいくつもあります。生活の質、上質、質が高い、ハイレベル、品質が良い、関係の質、ハッとする絵画、興味深い写真、調和のとれた風景や庭園、などです。そして関係者全員の意識がクォリティに向けられるときに「クォリティスクール」が誕生するのでしょう。日々の生活でもっともっとクォリティについて考え、クォリティに注目するようにしたいものです。子育てをしている親は、もっとクォリティに触れる機会を子どもに与えたいものです。
                柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)
JACTPニュースレタ−83号より

認知症予防のために

 自動車運転免許の更新をすることになった。75歳以上になると、認知機能検査が入る。視野検査、実車検査などを済ませ、検査結果を持って警察署に行き、書類を提出して視力検査の順番が来た。補聴器を付けていますか?外してください、と言われ、生年月日を言ってください、が聞こえれば合格。それから視力検査。無事合格。
 今回の更新で初めて認知症検査を受けた。日本での認知症発症者は65歳以上で5人にひとりになると言われている。予防に必要な要素は、運動、食生活、社会参加の三つと言われる。近頃David Perlmutter医師の発信された情報を入手した。この方は早くからグルテンフリーを唱え、惜しげもなく情報を提供されている。食事に関する九箇条。
1. 良質な油を摂る。ココナッツオイルで夫の認知症が改善したとニューポート女医は述べている。それも4時間で違いが出たという。オメガ6(サラダ油、ゴマ油)はそれなりに摂れているので、オメガ3(亜麻仁油、エゴマ油、青魚)やオメガ9(オリーブ油)が推奨される。サバ缶の利用などは良い。
2. ナッツを食べる。クルミ、かぼちゃの種、アーモンド、ピスタチオ、等。
3. 養殖でない天然魚を食べる。
4. イチゴを食べる。
5. 発酵食品を食べる。納豆、漬物、等。
6. 葉物野菜を摂る。10数種類の野菜を長時間煮込んだ野菜スープや野菜のスムージー、野菜サラダなどを食べると良い。
7. アボカドを食べる。
8. 卵を食べる。コレステロールを心配して卵を勧めない医師は遅れている。コレステロールの数値は診断基準から外された。心配無用。
9. ターメリックを摂る。クルクミンが摂れるので良い。
 出来ることから取り組むとしたら、糖質制限をして糖エネルギー代謝からケトンエネルギー代謝に変えるとよい。関心のある人は江部康二医師のブログを読まれると良い。読者の質問に丁寧に答えられている。
http://koujiebe.blog95.fc2.com
                柿谷正期(日本選択理論心理学会ニュースレター82号より)

つながりの大切さ

 地震や洪水などの被災地に住む友人と電話が繋がり安否を確認でき、ホッとする経験をした人は多いことだろう。電話が各家庭になかった時代を過ごした人々にとって、つながりに携帯やインターネットが使われる時代は想像もできなかった変化である。つながり方はいろいろあるが、医療現場でも治療を受けている人にどのような繋がりがあるか、その重要性が認識されてきている。  人とのつながりがある人とない人を比べると、健康寿命に違いがある。当然孤独な人よりもつながっている人の方が健康寿命は長い。54歳以上の人が配偶者をなくした場合、死亡率はそうでない人と比べて4倍、7倍、10倍も高いという研究結果を読んだこともある。高齢者になると新しいつながりは構築し難く、これまでのつながりも減少して行く。日本の少子高齢化は一層拍車をかけると思われる。  先日10年前に大学を卒業して社会人になっている元ゼミ生が二人で訪ねてきてくれた。昔、肺炎を患い入院していたときも、彼らが大勢で見舞いに来てくれたことを思い出した。お見舞いに来てくれる人がいると、死亡率は下がるという研究結果も知られている。6ヶ月以内で見ると心筋梗塞で入院している患者でお見舞いに来る人が2人以上いる人と、そうでない人との死亡率は26%と70%と大きな差がある。つながりのある人の健康寿命は長い。以前読んだものであるが、3つ以上の組織に属している人は認知症になる確率は、そうでない人と比べて低いようだ。私は教会とのつながりは58年、大磯ライオンズクラブの会員になって32年、日本選択理論心理学会とNPO日本リアリティセラピー協会は創立以来で30年以上。組織との関わりも大事にしたい。  グラッサー博士は私たちの組織がこれからも繁栄を続けるためには、メンタルヘルスに焦点を合わせる必要があると言われていた。メンタルヘルスの問題点は、まさに重要な人との人間関係が損なわれているか、重要な人間関係が欠損しているかにかかっている。良いつながりがある人のメンタルヘルスはそうでない人と比べても良好である。学会もNPOも良い人間関係を維持するために自分は何をするべきか、と自己評価をする会員によって支えられている。意見の違いを乗り越えてお互いが和合して共に成長する姿は美しい。これからもそうでありたい。                 柿谷正期(日本選択理論心理学会のニュースレター81号より)

腸内細菌と精神の不調

 自閉症の子どもたちの腸内細菌の構成には特定のパターンがある。Brain Maker(『腸の力であなたは変わる』三笠書房、2016)の著者David Perlmutterはそのように言う。この英文の書名は、脳を創っているのは腸であることを示唆している。脳が腸に指令を出しているというよりも、腸が脳に指令を出しているという主張なのだ。腸の働きを維持するのは腸内細菌である。10% Human(Alanna Collen著『あなたの体は9割が細菌』河出書房新社、2016) は、もっとはっきりと人間は常在菌、腸内細菌などでできていて、細菌なしでは生きられない、ということを示唆している。わずか1割が人間であると主張している。2007年『自閉症を含む軽度発達障害の子を持つ親のために』(柿谷正期監修)が出た頃は、まだまだGFCF(グルテンとカゼインを除去する)ダイエットは知られていなかった。柿谷カウンセリングセンターのHPに情報を掲載したのが、2000年。今は、自閉症に共通している腸内細菌の構成には共通したパターンがあることがわかっている。自閉症だけではなく、うつ病、ADHDなども腸内細菌に影響されることが判明している。多くの自閉症児は抗生物質に触れてきた。妊娠期間に母親が抗生物質を使い、また子ども自身が中耳炎などで抗生物質を投与されたことがあり、そのため腸内細菌のバランスが崩れてしまっている。
 前田浩著『最強の野菜スープ』、藤田紘一郎著『腸内細菌を味方につける30の方法』などは、簡単な方法で体調改善ができることを示している。ウオーキングも腸内細菌を味方にするひとつの方法だ。同じものを食べても健康になる人と具合の悪くなる人がいる。この違いは腸内細菌の違いだ。森美智代さんは難病にかかり、断食、復食を繰り返すうちに、青汁以外のものを食べると下痢をする状態になった。好き好んで青汁1杯を選んでいるのではない。それ以外のものを受け付けなくなったのだ。牛は草を食べて肉を造っている。彼女の腸内細菌が牛に似ているので、肉や魚を食べなくても彼女は生き延びている。同じ難病にかかった人は亡くなっている。森美智代さんは、『食べること、やめました』を出版したときで既に13年も経過しているので、今では23年の経過だ。腸内細菌が必要なタンパク質を造ってくれているのだ。私は野菜スープを今は毎日のように食べているが、髪の毛が白から黒に変わってきている。腸内細菌、恐るべし。                 柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)
(日本選択理論心理学会、ニュースレター80号より)

叱るって必要ですか?


 昨年(2017)の12月愛媛県松山市で講演会が企画された。テーマは素敵な人間関係と周知されていたが、司会者から講演タイトルはどうされますか、と直前に聞かれた。そして急遽「叱るって必要ですか?」にしてもらった。講演会は付録で、午後のロールプレイ研修が主目的となる研修会だった。初めての人も招けるように講演会が企画され、午後はロールプレイ、質疑応答というのが、岡山、京都での1日研修を先例とした企画だった。
 我が家の三男が小学校に上がったとき、担任教師はベテランの女性教師だった。「私は怒っているのではなく、叱っているのです。」と怒ることと叱ることを区別されていた。叱ることは教育者がしなければならないこと、良い教師は生徒を叱ることができる人、というのが多くの教師の考えだ。
 あるときこのクラスで生徒に教師が聞いた。「みなさん、先生の得意なことを知っていますか?」一人の男子生徒がボソッと言った。「オコル(怒る)コト」。叱っている人は、「怒る」、「叱る」の区別をしていると主張しても、生徒には「怒る」としか伝わっていない。非行少年が「親父に叱ってもらいたかった。」と言って、ハラハラと涙を流すシーンがあるが、そのとき父親が叱る行為をしていたら殺傷事件になっていた可能性がある。少年の語彙不足で使った言葉の真の意味は、叱られることではなく「もっと関わって欲しかった。」ということであろう。
 忙しい出勤前の朝、子どもが指で背広をツンツンと突ついていた。「お前何してる?」子どもは「お父さんの洗濯代を高くする攻撃!」と答えた。この父親は子どもを叱った。「叱るときには叱らなければならぬ。」と。しかし、子どもの背後にあるメッセージは、「お父さん、最近遊んでくれていないけど、、、」と言わんとしていたのかもしれない。もし、そうであるなら、「唾を背広につけることはいいことかい、悪いことかい」と自己評価を促して、「止めてくれる?」で済むかもしれない。そして、「最近君と遊べる時間が取れなくてご免な。土曜日はお父さん家にいるから、遊ぼうか?」と対応することもできる。「叱るって本当に必要だろうか?」担任教師と副担任教師に叱られて生徒が自殺したという新聞記事を見ながらつぶやいた。        

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

日本選択理論心理学会(JACTP)ニュースレター79号より

自己評価の適用

 私が大学教員であった頃、試験をするときに、自己評価を如何に評価システムに取り入れるかを模索した。記述式試験問題の回答欄の下に、自己評価欄を設け、出席、課題、グループ発表、読書レポート、試験、という幾つかの項目に対して、学生にA,B,C,Dの評価をつけてもらった。数字にすれば、4,3,2,1。自己評価を促す項目数は教科によって違うこともあるが、それらにはウェイトをつけた。出席20%、読書レポート30%、グループ発表20%、試験30%、というような具合だ。そして3.6~4.0をAとする。Bは2.6~3.5というような表を作っておき、事務室に提出するものは点数だけで、学生に通知されるのは点数ではなく判定(AかBかC,Dか)だった。「あのクラスでAをもらった」、「Bだった」というようなことになる。もう少しでAになるという状況では、学生のメーアドレスに「現状はB判定です。関連する何かを読んで提出することでA判定にすることも可能です。期限は◯月◯日14時、提出先は柿谷研究室です。」と配信する。「これを高校生の時からしてもらっていたら、、、」と感想を述べた学生もいた。自己評価を促される機会が少なかったということであろう。
 先日日本カウンセリング学会の年次大会に参加して気づいたことは、自己評価の概念があまり出てこなかった、ということだった。「自己理解」、「洞察」の中に自己評価は含まれるようであるが、洞察で行動は必ずしも変わらないことがある。選択理論を用いたカウンセリングであるリアリティセラピーでは、自己評価を促すことはカウンセリングの要である。
 「幸福な人は常に自分を評価している。一方、不幸な人は常に他人を評価している。」これはグラッサーの名言である。自分を評価するという自己評価こそが行動変容をもたらすものである。クォリティ(上質)は自己評価の積み重ねで生まれる。デミングの影響を受けた日本人は、早くから「上質」なものを作るのが一番安くつくと学んでいた。恐れのない環境で自己評価を繰り返しながら「上質」は育まれてきた。そしてMade in Japanの名声が世界に轟いた。産業界で成功するなら、教育界で成功しないはずはないと、グラッサーは教育改革に取り組んだ。結果を出すためには、子育てで、教育現場で、職場で、もっと自己評価の意義を理解し、実践する必要がありそうだ。  柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

日本選択理論心理学会ニュースレター第78号より

甲状腺機能低下症

精神科医師ニューボルドは、自らが低血糖症だと分かってから、自分がこれまで診た患者の中に同じような症状を訴えている人がいたと気づき、治療方法が変わったと告白していた。彼はまず低血糖症と甲状腺異常があるかの検査をする、と著書で述べていた。低血糖症のことはいろいろ書いてきたので、随分知られてきたという印象を得ているが、甲状腺機能の異常については、ここ40年近く気になっていた。恐らく甲状腺機能低下症の問題を抱えている人の多くが、精神科に行けばうつ病診断を受けるであろう。

最近になってRobert Thompson医師の著書The Calcium Lie IIを読んでわかったことがある。彼によると彼が絶大な信頼を寄せているTrace Elements, Inc.の毛髪分析を活用して、Ca(カルシューム)/K(カリューム)をはじめ7つの比を重視する。Ca/Kの比が4.2を超えていて、かつ基礎体温(朝起きがけの体温)が36.5℃以下であれば、甲状腺機能低下症の疑いがあるという。血液検査でTSH, FT3、FT4を検査すれば、TSHが高値であることが多い。日本ではTSHの参考値が0.390〜4.01となっているが、アメリカ内分泌学会は2011年に上限を3.0にすることを決定している。しかし、Thompson医師は、参考値は0.1〜1.0であるべきだと主張する。TSHの値が2.5である妊婦は、30%流産の危険が増すとしている。1.0増すごとに15%危険率が増すので、4.5の人は60%危険率が増大することになる。こうしたことは日本ではあまり知られていない。Thompson医師によると、甲状腺機能低下症には5種類あり、タイプ1〜5と分類している。タイプ1はホルモン補充が必要となるようだ。

Ca/Mg(マグネシューム)比は3.00〜11.00であるべきであるが、Caが多くてMgが少ないと、細胞の電気的機能が崩れて、細胞がMgを求めて副腎機能を抑えてMgをもっと要求し、結果としてNaとKが尿から排泄される。Na(ナトリューム)とKは胃酸産生には不可欠なので、消化に問題が起こり、たんぱく質を消化できずにアミノ酸を活用できなくなる。こうして神経伝達物質の産生が困難になる。このように甲状腺機能低下症とメンタルヘルスには大きな関係があることがわかる。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

日本選択理論心理学会 ニュースレター77号より

過去に悩む人へ

グラッサー博士は、講演を聴いた人や、読者から手紙をたくさん受け取った。その多くは、感謝と質問の手紙だった。そのやりとりがそっくり箱に入って保存されていたという。途中からインターネットを使ったメールのやりとりになるが、事務局のリンダ・ハーシュマンさんがそのやりとりをも保管していた。私もたくさんの手紙を受け取り、メールでの質問を受けたが、そのやりとりは保存されていない。精神障害者のグループホームとして建てた大磯ハウスを、継承者がいないことを大きな理由として手放すことにした。書斎に手紙がたくさん保管されていたが、それへの回答は手元にはない。今回潔くシュレッダーにかけ、あるいは溶解処分にしている。グラッサー博士の回答が残っているということは、コピーをいちいち取っていたということで、亡くなったリンダさんの取り組みはすごいものだったのだ。ただただ感嘆するばかりだ。

この度、それが本になって出版された。『Thoughtful Answers to Timeless Questions』という題名の書籍だ。12章に分かれており、交際、結婚、育児、教育、依存症、犯罪矯正、軍、職場などが取り扱われている。その中で2005年のやりとりがある。過去に関するやりとりだ。過去の性的虐待、PTSD、悲嘆・喪失にどのように対処するか?基礎プラクティカムを担当した講師が答えられないので、グラッサー先生に質問するように言われた、という内容であった。以下は回答の要約である。

どんな悲惨なことが過去に起こったとしても過去は変えられない。人は現在に生きているので現在欲求充足をするしかない。過去に虐待を受けた人は、現在の問題に直面している。その問題の99%は、良好な人間関係の欠如ということだ。これは本人、あるいは周囲の人が外的コントロールを使っているからだ。従って、過去ではなく将来に焦点を当て、良好な人間関係を現在見つけ、さらに良好なものにすることだ。良好な人間関係を現時点で創造できれば、過去にどれ程ひどく苦しいことを体験していたとしても、良い人生を送ることができる。人はPTSDで苦しむのではい。悲嘆体験もせいぜい6ヶ月、長くても1年。時間が経過しているのに、なおも悲嘆にくれているのは、現時点でそれに代わる人間関係を持っていないことにある。過去を埋め合わせるという考えは受け入れがたいかもしれないが、現在を扱う以外にできることはない。(pp.6-8)

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

日本選択理論心理学会ニュースレター76号より

東京都新宿区歌舞伎町「駆け込み寺」

歌舞伎町で駆け込み寺を始めた人、玄秀盛(げん・ひでもり)。自分が白血病のウイルス保持者であることを献血で知り、そして発症後1年以内・・・と宣告された。人生の生きた証を持ちたいと、ビジネスを閉じて、歌舞伎町で駆け込み寺を開設した。
母親と呼ぶ人が4人、父親と呼ぶ人が4人、父が移動するたびに、また母が移動するたびに、ついて行くしかない少年時代だった。その人生は壮絶としか言いようがない。玄をモデルとしたドラマが渡辺謙主演で放映された。俳優渡辺謙は、玄を正直な人と称するが、私にはむしろ赤裸々な自己開示という印象が強い。ドキュメンタリーも放映され、鶴瓶とのトークショーにも出演した。ハヤカワ・ノンフィクション文庫『駆け込み寺の男、玄秀盛』(佐々涼子著)の帯には「新宿歌舞伎町で14年。いかなる悩みも解決してきたこの男、いったい何者?」と書かれている。私は玄にもらった3枚のDVD、書籍3冊すべてに目を通し玄の壮絶な生き様に触れた。
紹介者は私の教えていた大学のゼミ生・浅井夕佳里。彼女は臨床心理学を学ぶため、社会人入試で大学生となり、私のゼミ生となった。最近『ママと子どもで一緒にはじめる発達障がい“改善”ステップ』を出版した。ゼミで学んで知った以上放っておけないと発達障がい改善の道に入り、NPO「心和」を立ち上げた。浅井夕佳里は、以前駆け込み寺のボランティアとして会計を手伝ったことがあり、今回彼女から柿谷正期はゼミ担当教授だったと玄が聞き、9月23日急遽私が歌舞伎町の駆け込み寺を訪れることになった。駆け込み寺を出た後、駆け込み酒場“玄”に行った。この酒場は一般社団法人「再チャレンジ支援機構」の活動の一環でもあり、犯罪者の社会復帰の支援をしている。私が玄に手渡したコピー「選択理論と犯罪矯正に関する研究」(ニュースレター67号)は、選択理論が犯罪矯正にどれほど効果的かを示している。玄が求めていた情報があったに違いない。玄は刑務所と出所後の犯罪矯正に役立つプログラムを模索していた。これまでの玄の破天荒の生き方と、「たった一人のあなたを救う」と掲げた彼の「贖罪」の想いが、これまでの資金難をはじめとした諸問題を乗り越えさせ、多くの人を救ってきたのであろう。今後玄と選択理論はどのように繋がって行くのであろうか。(敬称略)
柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)
日本選択理論心理学会ニュースレター75号より

グラッサー・クォリティ・スクールの3本柱

クォリティ・スクールと題した書籍をグラッサーが著したのが1990年。翻訳本が出版されたのが1994年。米国ミシガン州で最初のクォリティ・スクールが誕生したのが確か、1994年。達成したお祝いをしていると、近隣の学校から、「自分たちだけがクォリティ・スクールになったと言っているが、我々の学校はそうではないという意味?」というつぶやきが聞こえてきた。そこで、グラッサーの提唱する、クォリティ・スクールという意味で、「グラッサー・クォリティ・スクール」という名称を使うようになった。以下の(1)〜(6)はGQSの基準と言われているものにつながる項目で、『グラッサー博士の選択理論』p.464を参照されたい。

グラッサー・クォリティ・スクールには、3本柱があると見ることができる。1本目の柱は「環境」である。(1)規律違反の問題は1年目で大幅に減少するはず。グラッサーは、デミングが指摘する「14項目」の中で、最も重要なのは「恐れを取り除く」ことだと言う。強制のない温かい学習環境を作り、(6)喜びに満ちた環境にすることが1本目の柱。関連書籍は、『クォリティ・スクール』8〜10章、『あなたの子どもが、、、』1,3〜5,11章、『Quality School Teacher』1〜4章参照。(Quality School Teacherはまだ邦訳がない)

2本目の柱は「責任」。自分の行動に責任を持つということは、人のせいにしないで生きること。親や教師のせいにして、反抗してあえて勉強しない選択をする生徒は、まだ責任の概念を学んではいない。生徒も親も教師も選択理論を学べば、責任ある行動を取れるようになる。自分の幸せにも責任が持てる。(4)生徒はなんらかの上質な取り組みをすることが期待されている。『クォリティ・スクール』6章、『Quality School Teacher』3,7,9〜12章参照。

3本目の柱は「成果」。学校が喜びに満ちた学習環境であれば、学習は楽しくなる。学習が楽しくなれば、(2)学習成果は当然上がってくる。(3)成績はAが殆どで、たまにB評価もありという程度で、教科の理解は上質なものであることが期待される。(5)生徒も教師も親も、勉強会に参加して選択理論を学び、生活に適用している。『グラッサー博士の選択理論』10章、『あなたの子ども、、、』2,6〜10章、『Quality School Teacher』5,6,12章参照。教育関係者はまず「環境」と「責任」領域から取り組めるのではなかろうか。  柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

(日本選択理論心理学会ニュースレター74号より)

ケトン体が人類を救う

この題名の書籍が2015年11月20日に出た。出版されて数日で入手できたので、一気に読んだ。面白いこと、面白いこと!これほど面白い本を最近読んだことがなかった。著者は宗田哲男医師で、専門は産婦人科。本書の副題は「糖質制限でなぜ健康になるのか」とあるので、内容については想像できるであろう。学会での発表を制限され、ポスター発表だけが許されるという専門家からの非難・攻撃にさらされながら、本書を書くに至った経緯が面白い。医学の進歩を阻むのは、それなりの知識を持っている専門家であることが多い。ポーリングのビタミンCに関する知見も非難された。ホッファーのナイアシン(ビタミンB3)も学会の倫理委員会が不当な扱いをした。低血糖症も精神科領域で認められるようになるのに時間がかかった。フェリチンも最近やっと調べられるようになった。専門家である医師が、自分が蓄積した知識を変えようとしないことに問題がある。コレステロールについても、随分前から、「コレステロールの豊富な食べものが数値を上げるのではない。コレステロールは肝臓で作られる。」と言われていた。昨年の4月に厚生労働省がやっとこれまでの知見を変更し、摂取制限を撤廃した。しかし、まだコレステロールを改善する降下剤が処方されている人はかなりいる。この薬剤でうつ状態になり、自殺をしたと推測される事象も報告されている。ある期間、JR中央線で自殺した人の9割が55歳から60歳で、全員がコレステロール降下剤を飲んでいたと報告されている。

ケトン体についての宗田医師の知見によると、お腹の中にいる赤ちゃんのケトン体濃度は高い。赤ちゃんは生まれた直後でも、数週間経過してもケトン濃度が高いという。ケトン体の基準値は76以下であるのに、300~400と高濃度であることを宗田医師は確認している。一方胎児・新生児の血糖値は35mgと低い。宗田医師の研究によると、母体は高濃度(2000以上)のケトン体を製造して赤ちゃんに供給していることがわかってきた。人間にはブドウ糖によるエネルギー代謝と、ケトン体によるエネルギー代謝がある。不定愁訴を伴う低血糖症の治療では、これまで血糖値が急上昇する食べ物を避けて、少量頻回食が勧められてきたが、ケトン体エネルギーを使う方法なら、低血糖症の治療にも有効な知見なのだ。つまり糖質制限食なら血糖値の乱高下はなく、仮に血糖値が低値になっても、エネルギー不足にはならない。宗田医師は、糖質制限食を導入して以来、帝王切開も胎児を守るための誘発分娩も妊娠高血圧症候群も激減したと報告している。そして自らの糖尿病、高血圧症、高脂血症が治癒したと報告しているが、これまでの専門家の反応を見ている限り、これが受け入れられるようになるには、残念ながら何十年も経過するだろう。同様に選択理論が常識になるのにも時間はかかるだろう。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

(日本選択理論心理学会、「ニュースレター」73号より)

自己愛を推奨することへの疑問

 随分昔のことになる。米国でカウンセリング心理学を学んでいたとき、多くの人が「自己愛」を推奨していた。自分を愛することができなければ人を愛することはできない、と。また、自分を愛するとは自分を好きになることだと言われてきた。私はずっと疑問に思っていた。

人を好きという感覚はわかるが、自分を好きになった人はどんな感覚なのだろうか。私が女性を好きになると、男性を好きになるのとは違って、ホンワカした感じになる。しかし、自分が自分を好きになってホンワカした感じを持つとは思えない。誰にでも、「好きな人」、「好きでない人」、「好きでも嫌いでもない人」がいるだろう。通常これは他人に関することで、自分を好き嫌いの対象にはしていない。自分を好きにならなければいけない理由はあるのだろうか?

「あなたの敵を愛せよ」という聖書は、あなたの敵を好きになりなさい、とは教えていない。もし、言われていたら絶望的な感じになる。「愛する」は、「好きになる」の同意語ではない。好きで結婚しても好きでなくなることがある。愛するとは好きでなくなっても、その人を捨てないこと、と言えるかもしれない。好きか嫌いかは感情領域の問題で、愛するとは行為・思考領域と考えられる。敵を好きにならなくても、敵を愛することはできる。敵が飢えているときに、食べ物を提供することは、愛の行為である。好きにならなくても可能だ。誰かが歌っている。Love is something you do.「愛は何かをすることだ」と。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と教える聖書は、自分を愛することは、ことさら勧めなくても誰もがしている、という前提に立っている。自分を愛することや好きになることがことさら重要なら、聖書が「自分を愛せよ」「自分を好きになれ」と教えていてもいいはずだが、そのようなことを教えてはいない。

ブロッコリーが好きでない人にブロッコリーを「好きになりなさい」はハードルが高い。しかし、「ブロッコリーを好きにならなくてもいいよ。でも体にいいから食べなさい」と言われれば食べる人もいる。自分を好きにならなくても良いが、「自分の価値を認めなさい」、「自分は自分でいいんだよ」と受け入れなさいと言われる方が、自分を「好きになりなさい」よりも受け入れやすい。価値があるのは、自分は唯一無二のかけがえのない存在であるからだ。また、「好きな友人にはどんな特徴がある?」と聴き、その人の持っている特徴(誠実、楽しい、思いやり、博学、人の悪口を言わない、等)を身につけるようにするほうが教育現場では実用的ではないか。自己愛は辞書によるとナルシシズムと出てくる。推奨されるものではない。「自分を愛する者」は聖書では推奨リストには入っていない。利己的な傾向の人として避けられている。               柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

(日本選択理論心理学会 ニュースレター72号より)

 

教師はマネジャー

  • グラッサーの書いた『クォリティスクール』の副題は、英文では「強制しないで生徒を管理する」であった。「管理」という言葉に違和感を感じる学校関係者は少なくない。管理教育という言葉からは、自由裁量を与えないで、規則・指示に従うことが求められる状況が浮かんで来るのかもしれない。言葉の意味は、言葉にあるのではなく、人の中にある、と言われるように、「管理」という言葉が意味するところは、人それぞれだ。部活のお世話をする女子マネを連想する人もいる。『クォリティスクール』の中でグラッサーが言いたかったのは、「教師はマネジャーでもある。強制のあるボスマネジメントではなく、リードマネジメントを身につけて対応すれば」生徒は成功するということだった。教師は学級経営あるいは学校運営という言葉は日頃から使っている。学級経営を英語では、クラスマネジメントという。マネジメントは経営、運用、管理の意味で使われる。福祉領域ではケアマネという言葉も日常的に使われる。好む好まざるに拘わらず、教師はマネジメントをしている。校長、教頭の管理者だけが、マネジメントをしているのではない。ボスマネジメントという言葉からは、悪い意味での管理が連想されるだろう。「とにかく言われたようにやれ」というような高圧的な手法だ。言うことが聞けないなら首だ、という脅迫的言葉は職場で耳にすることがある。では、ボスマネジメントの対極には何が来るのだろう。選択理論を学んだ人の中で、ボスマネジメントの対極がリードマネジメントだと誤解している人がいる。しかし、ボスマネジメントの対極はレッセフェール(放任主義的)マネジメントだ。リードマネジメントはこの二つの対極の間にある。対極の真ん中から右寄りの人もあり、左寄りの人もあるだろう。グラッサーは、デミングが知らずにしていたことは、まさに選択理論そのものだったと聞いてから、デミングが選択理論を知っていたら、もっと彼の働きは広まっていただろうと考え、『選択理論マネジャー』を著した。選択理論に基づくマネジメントを、グラッサーはリードマネジメントと呼んでいる。教師も自分がマネジメントをする立場にあることを認めて、ボスマネジメントではなく、放任主義でもなく、リードマネジメントをしっかり身につける必要がある。会社の社員には給与が支払われるが、学校では生徒に給与は支払われない。学校でのマネジメントが困難である理由は、これだけではない。学校は幾つもの点で、普通の会社組織と違っている。教師はマネジャーで、生徒は社員、そして同時にプロダクトでもある。また、保護者と生徒は顧客でもある。世界のクォリティスクール関係者は、こうしたことを日頃から話題にしている。教師はマネジメントをする立場にいることをすんなり受け入れている。学級経営が教師の任務の一つであるなら、教師は経営者ではないのか。経営はマネジメントで、教師はマネジャーである。しかし、教師はボスマネジャーになってはならない。強制のあるところに上質は生まれないからだ。               柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

グラッサーの教育改革再考(成績について)

グラッサーの三番目の著作は、『落語者なき学校』(1969)である。これは1965年に発行された『現実療法』が社会に及ぼした大きな影響と同様、学校関係者に大きな影響を与えた。グラッサーが非行少女たちのためのヴェンチューラ校に関わっているときは、コテッジ・ミーティング、学校ではクラス・ミーティングを主導した。1969年の講演で、ここ5−6年の間に1500回から2000回クラス・ミーティングを主導したと語った。グラッサーが学校に講師として呼ばれると、生徒たちの代表を何人か集めて、講堂に聴衆を集め、模擬クラス・ミーティングをしたものだ。ある時、成績はあったほうが良いか、どうかで、話し合いが進んだ時、生徒の多くは、成績はあったほうが良いと答えた。親も成績を望むし、この学区で成績がなくなったら、成績のある学校に転校するなどの意見が出た。このような雰囲気で進んでいた話し合いだったが、「では、この話し合いにも成績をつけてもらってもいいか?」と質問されると、流れが変わった。成績をつけられるなら、ここに来なかった、自由に発言できない、等々の反応となった。教師たちの関心事は、教育委員会が成績なしの学校を認めないだろう、どうしたらそのような学校が創れるかということになった。
グラッサーは、エドワァーズ・デミングの「14ポインツ」で自分がもっとも重要と思うものは、組織のなかから「恐れを取り除く」事としている。
日本でのことであるが、学校で恐れを取り除くにはどうしたらよいか、という話し合いになったときに、一人の教員が、「生徒は試験を恐れている」と答えた。試験を恐れるのは失敗を恐れるからだ。日本で、「成績なしの学校」は不可能なのだろうか。
私が大学教員のときに、成績をつけることが期待されていた。私は、模擬試験の問題を出して、前もって取り組んでもらい、試験当日は、教科書もノートも見て良いという試験問題を準備した。カンニングを監視しなければならないような問題ではなく、試験当日は、「隣の人の答えを見ても良いが、隣に誰が座っているか気をつけるように」と言って、笑いを得た。これだけでも試験の恐れは随分取り除かれるはずだ。答案用紙の下部には、「自己評価」欄を設けて、出席、課題、プレゼン、等の自己評価をしてもらい、成績のランクを上げられそうな学生には、連絡して、今79点だが、何かの取り組みをして、ランクアップして80点にしたいなら、何をいついつまでに提出するか考えてもらう。
グラッサーの学んだ医学部には成績がなかった。入学したときに学生が言われた事は、選ばれて入って来たので、全員が医師になる。心配しないで勉学を楽しむようにということだった。グラッサーの成績のない学校の構想は、自らの経験にも根ざしている。
柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)
(ニュースレターより)

グラッサーの認めた過ちと率直な反省

誰にでも過ちはある。基本的欲求の段階説を提唱したA. マズローは、晩年、側近の者に、欲求を段階的に捉えていたのは間違いだったと言った。私はこの話しをブラッド・グリーン博士から聞いた。(グリーンはアポロハイスクールの校長だった。)マズローは何も言わずにこの世を去ることもできたはずだが、恐らく何年にも渡って考えあぐねていたのであろう。グラッサーの提唱する基本的欲求には段階はなく、強弱があり、この強弱がその人の性格となって現れる,と説明される。基本的欲求を段階説でない捉え方のほうが使いやすい。

グラッサーは「当然の結果」という概念をあるときから、使わないとした。外的コントロールになってしまうことが多いからだと言う。

グラッサーは、まだ教育訓練センターがあった頃、1977年「テン・ステップス」と呼ばれるプログラムを開発し、このプログラムは多くの学校で活用された。規律違反の問題への対処の仕方を教えるものだ。これは多くの学校関係者に受け入れられた。「停学処分は中学校、高校で50%から80%減少。「テン・ステップス」を導入した中学校では落書きが40%から90%減少。テキサス州ヒューストン市のジャーシー・ヴィレッジ高校(Jersey Village High School)の証言によると、この手法が導入されて以来、規律違反者の再犯は88%減、けんか90%減。中途退学は18%から6.3%に減少した。」(グラッサーの伝記より)これほど効果のあるものを、グラッサーは後に「間違いだった」と撤回している。

同じ1977年グラッサーは選択理論の基になる書籍『行動:知覚のコントロール』(パワーズ著)を手にして読み始めていた。ここから選択理論が提唱されるようになるのであるが、グラッサーは「動機」についてこれまでとは違う考え方をするようになった。『落伍者なき学校』(1969)を世にだしたときには、まだ気付いていないことだった。外的コントロールを徹底して排除しようとするときに、自ら創った手法さえ「間違いだった」と排除した。私が同じような立場にいたときに、これほど効果があると賞賛されている「テン・ステップス」を排除しただろうか?こう自問自答するときに、グラッサーの素直さ、誠実さが感じられる。それ自体問題のない書籍でも概念でも、外的コントロールの要素が入っているものは、排除された。その一例が『Restitution』であり、『テン・ステップス』だった。日本でも学校現場での規律違反にどう対処するか、という類いの書籍やプログラムが、われわれの仲間から出版されないことを願うものである。グラッサーの主張は、システムを変えることである。これこそが,根本的な問題解決なのだ。過ちを繰り返してはならない。

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)Newsletterより

外的コントロールについて

  • これまで選択理論を学んだ人の中で、他の人が自分に不快なことを言った場合、外的コントロールを使われたと口にすることがあります。確かに聞きたくないことを聞くときに、比較の場の天秤が傾きます。天秤が傾くので、私たちは行動するのですが、天秤が傾くことことがすべて外的コントロールではありません。行動が誘発される前段階では天秤は傾くのです。不快なものがすべて外的コントロールではありません。ボスマネジメントをする上司に対して部下は黙っていないで「私メッセージ」を使うことがあります。「課長にそう言われたとき,私は怖いと感じました。」「私メッセージ」は外的コントロールではありません。自分の感じたことを表現するコミュニケーションの方法です。 ある人の意見を聞いて、思わずうなずくことがあります。その意見が不快なものであるときに,うなずいた人たちが皆自分に外的コントロールを使ったと表現する人がありますが、これも外的コントロールととるのは不適切です。外的コントロールは自分がされたかどうかではなく、自分が相手にしているかどうかを問題にすべきです。 また、自分に対して外的コントロールを使っているという表現を耳にすることがありますが、これも多用はしないほうがいいでしょう。自分を責めている、批判している、等々は外的コントロールと言わずに,自分を責めている、批判していると言うほうがいいでしょう。自分に外的コントロールを使っているという表現はグラッサー先生の書籍に一度程度あるかもしれませんが、講演等で聞いたことはありません。 外的コントロールという言葉を使うようになる前は、「刺激・反応理論」(SR理論)が使われていました。SRのままだったら、SRをされたという表現は不適切です。 好きな人に触れられるのはセクハラではなく嬉しことで、好きでない人から触れられるのはセクハラと言われます。外的コントロールをセクハラと対比して、嫌なことはすべて外的コントロールというのは不適切です。 人の話をさえぎることは必ずしも外的コントロールではありません。違いの交渉では、さえぎることもあり得ることです。文化の違いでしょうが、WGI国際理事会で人の言葉をさえぎらないでいると,言いたいことを言えないことがしばしばです。講座を担当している講師が、受講生の話をさえぎることもあります。受講生の独壇場にしないためです。講師は議長役もしているわけですから、議長にはそれなりの権限があります。 「刺激・反応理論」から「外的コントロール」という言葉に変わったことから、混乱が起こっていますが、「外的コントロール」を、人を責める道具にしないことが必要だと考えます。 柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

選択理論と犯罪矯正に関する研究

選択理論の効用について、それぞれの分野で研究が進んでいる。学校、職場、家族関係はもとよりのこと、犯罪矯正の分野でも興味深い研究がなされている。以前CIW(California Institution for Women)について報告したことがあるが、今回は本年(2014年)始めに犯罪学の専門誌に掲載された関連研究を紹介したい。米国での女性犯罪者数は1980年代のそれと比較すると5倍増と報告されている。一人の犯罪者を収監すると一人当たり年間470万円の経費がかかるとされている。そして刑務所を出て3年以内に57%が再度逮捕されるという厳しい現実がある。

発表された論文によると、2011年に96人の女性受刑者に研究に参加してもらっている。自分から選択理論を学びたいという人々が対象である。CTC(Choice Theory Connections)のクラスは5段階ある。段階1(基礎20時間)、段階2(中級20時間)、段階3(基礎プラクティカム30時間)、段階4(上級プラクティカム30時間)、段階5(認定30時間と10時間のクラス外の課題)。段階4の受刑者は、クラス外で、段階1−3の受刑者のメンターとして支援者も務める。今回の研究論文の対象者は段階1(n=58人)と段階4(n=38人)の受刑者である。尺度としては5種類が使われ、ストレス、マインドフルネス、感情の抑制、満足感、抑うつ・ハピネスを測定した。結果としては、すべての尺度で改善が見られ、CTCの効果が確認された。特に早い段階でのトレーニングは女性受刑者のストレスを軽減し,その効果は長期に渡ることが確認された。段階4の受刑者は、段階1の受刑者よりも安定していることも判明している。これまでに受講した受刑者は476人に及び、順番待ちのリストに載っている受刑者は219人いる。筆者が訪問した2010年秋のリストはこれほど多くはなかったので、受講したい人は確実に増えている。これまでに判明している受講済みの受刑者の再犯率は2.9%で、米国全体の女性受刑者の再犯率57%と比べると効果の程を窺い知ることができる。

カリフォルニア州には、スリー・ストライクスという言葉で知られる厳罰がある。3度目の犯罪が軽微であっても、3度目の空振りは「アウト」とされ、ライファー(終身刑)となる。厳罰は必ずしも犯罪抑制の効果はない。むしろ CTCのようなプログラムに予算措置をするほうがはるかに有効である。刑務所に入る前ならもっと有効であることはだれでも想像できよう。

研究の詳細は下記の論文から得ることができる。http://ijo.sagepub.com/content/early/2014/01/15/0306624X13520129

International Journal of Offender Therapy and Comparative Criminology.(Jan. 16, 2014) “Effectiveness of Choice Theory Connections: A Cross-Sectional and Comparative Analysis of California Female Inmates”

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

グラッサー博士逝く

日本時間2013年8月24日午前10時30分、ロスの自宅でグラッサー博士(Wiiliam Glasser, MD, 1925-2013)は息を引き取られました。享年88歳。夏休みに息子さん、お孫さんが来ておられて、家族で楽しい時を過ごされていた直後のことでした。肺炎が直接の原因だったようです。同じ時刻、私は青森県五所川原市三輪小学校で、教師、保護者、一般を対象にした講演会を9時から12時まで担当し、まさにグラッサー先生のことを話していました。

2012年ロスで開催された国際大会は、ひょっとしてご本人が参加できる最後の大会かもしれないということで、開催地は早くからロスと決まり、グラッサー先生に感謝の言葉を述べる機会も設けられていました。

精神病の伝統的な見解からはずれていたグラッサー先生は、UCLAでの医師としての研修を終えたときに、使いものにならないと「放り出された」という表現をするほどの異分子的存在でした。当時主流であった精神分析を受け入れなかったからでしょう。患者を紹介してもらえないままの開業は大変だったと容易に察しられます。しかし、それが故に比較的時間的にもゆとりがあったということで、ヴェンチューラ学院との関わりが始まり,1960年『現実療法』が世に出たのです。本書は150万冊売れました。コーニング社が資金提供をしている財団が企画した講演会講師に若干36歳で選ばれ、関係者から「あなたはこれからの人であると見ている」と選抜理由を説明されています。1989年、ミルトン・エリクソン財団の主催する大会において、傑出したパイオニア的心理療法家として認められました。この大会で「選択理論のようなしっかりした理論を基盤にした心理療法は他にない」と言い切っても反対者はいなかったと、後日話されていました。2004年、アメリカカウンセリング学会(American Counseling Association)からは「伝説的カウンセラー賞」を受賞し、2005年、アメリカ心理療法学会(American Psychotherapy Association)から、マスターセラピスト賞を受賞し、大学からは名誉博士号も授与されています。2012年5月、カリフォルニア州の州議会はグラッサー博士を傑出した市民として表彰しています。

グラッサー博士は精神科医師でありながら、向精神薬の処方をしたことがないと言われていました。問題は「不幸である」ことであり、不幸であるのは重要な人間関係がうまく機能していないからであると言われています。

1971年『タイムズ』誌が報告している情報によれば、600の学校と8900人の教師がグラッサー博士の教えるアイディアをとり入れているようですが、グラッサー博士の影響がどこまで及んでいるかは計り知れません。世界60数カ国に広がっています。

2014年7月9日—12日、トロントで開催されるウィリアムグラッサー国際大会でお別れ会が企画されています。謹んで哀悼の意を表します。   柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

体罰についてまだ認識が甘いのでは?

大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の2年生男子生徒(17歳)が顧問の男性教諭の体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下徹大阪市長は、「口で言って聞かなければ手を出すときもある」などと発言してきたが、「自分の認識は甘すぎた」と潔く反省の弁を述べた(1月13日朝日新聞)。好感の持てる歓迎すべき発言である。
 しかし、1月15日の朝日新聞では、「他人に迷惑をかけるとか、危害を加えるといったときには、もしかすると、先生が手をあげることを認めなければ行けない場合があるかもしれない」とも言ったと報道された。前言より後退した考え方である。残念ながらこのような考え方であれば、また事件は起こり得る。実のところ、命の大切さを痛みとともに教えようとした事件が今回の自殺事件に先駆けて起こっていた。
 この自殺事件に先立つ2008年、大阪市教委によると、同じ学校で体罰があったが、危険を伴うピラミッドの練習中のことであり、落下事故を起こす恐れがあったので、顔面を2、3発たたいて、襟首を持って引倒し、さらに1発たたいたという事件で、この顧問の処分を行わなかったという(朝日新聞1月14日)。命の大切さを教えるための暴力は容認され、やがては後に別の命が消えて行った。あのとき、暴力はどんな場合でも容認されないとしていたら、今回の事件は防げたかもしれない。
 1月16日の朝日新聞で、沖縄・興南高校野球部監督我喜屋優監督は、「殴り聞かせる」というような指導をしてはならないと述べている。しかし、母親が我が子をたたくことはあります、とも述べている。例としてあげられているのが、赤信号を無視して渡った時、車にひかれて死ぬかもしれない。命の大切さを、痛みとともに教えることは必要かもしれません、と言う。さらに同監督は、社会人野球の監督だった時、選手を殴ったことがあるという。車で事故を起こしたので、人の命が奪われたら、みんなに迷惑をかけることになる、と教えたかった。親の身になって叱ることは必要です。選手の胸ぐらをつかみ、真剣さを伝えることもあります、と述べている。このような認識で良いのだろうか?親は子どものしつけと称していても、それが児童虐待となって報告される事件が後を絶たない。しつけと虐待の区別は容易ではない。否、区別出来ない。
 元巨人・桑田選手は、「私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません」とどんな時でも体罰をしないことを勧めている。そんな中、伊吹衆議院議長が講演の質疑応答で、体罰容認発言をしたと報じられた。またそれを指示する他の国会議員の発言もあった。「体罰は必要」と回答する人は、少なくない。83%に上る(朝日新聞1月12日)。体罰を自らが受けてその有効性に疑問を持つまで、体罰容認は続くのだろうか?残念ながら体罰容認の根は深い。
                      柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

選択理論のラジオ番組

選択理論のラジオ番組が南海放送ラジオで始まりました。

毎月第2・4・5日曜日の午後1時半~1時40分

ポッドキャストでもお聞きいただけますので
聞き逃した方、愛媛県以外の方にも聞いていただけます。

南海放送ラジオ
「ラジオセラピー~幸せを育む心理学」

南海放送のホームページ  http://www.rnb.co.jp/
のページの中頃にある 「what’s new」のところから入ってください。
10分間の素敵な番組になっています。