外的コントロールについて

  • これまで選択理論を学んだ人の中で、他の人が自分に不快なことを言った場合、外的コントロールを使われたと口にすることがあります。確かに聞きたくないことを聞くときに、比較の場の天秤が傾きます。天秤が傾くので、私たちは行動するのですが、天秤が傾くことことがすべて外的コントロールではありません。行動が誘発される前段階では天秤は傾くのです。不快なものがすべて外的コントロールではありません。ボスマネジメントをする上司に対して部下は黙っていないで「私メッセージ」を使うことがあります。「課長にそう言われたとき,私は怖いと感じました。」「私メッセージ」は外的コントロールではありません。自分の感じたことを表現するコミュニケーションの方法です。 ある人の意見を聞いて、思わずうなずくことがあります。その意見が不快なものであるときに,うなずいた人たちが皆自分に外的コントロールを使ったと表現する人がありますが、これも外的コントロールととるのは不適切です。外的コントロールは自分がされたかどうかではなく、自分が相手にしているかどうかを問題にすべきです。 また、自分に対して外的コントロールを使っているという表現を耳にすることがありますが、これも多用はしないほうがいいでしょう。自分を責めている、批判している、等々は外的コントロールと言わずに,自分を責めている、批判していると言うほうがいいでしょう。自分に外的コントロールを使っているという表現はグラッサー先生の書籍に一度程度あるかもしれませんが、講演等で聞いたことはありません。 外的コントロールという言葉を使うようになる前は、「刺激・反応理論」(SR理論)が使われていました。SRのままだったら、SRをされたという表現は不適切です。 好きな人に触れられるのはセクハラではなく嬉しことで、好きでない人から触れられるのはセクハラと言われます。外的コントロールをセクハラと対比して、嫌なことはすべて外的コントロールというのは不適切です。 人の話をさえぎることは必ずしも外的コントロールではありません。違いの交渉では、さえぎることもあり得ることです。文化の違いでしょうが、WGI国際理事会で人の言葉をさえぎらないでいると,言いたいことを言えないことがしばしばです。講座を担当している講師が、受講生の話をさえぎることもあります。受講生の独壇場にしないためです。講師は議長役もしているわけですから、議長にはそれなりの権限があります。 「刺激・反応理論」から「外的コントロール」という言葉に変わったことから、混乱が起こっていますが、「外的コントロール」を、人を責める道具にしないことが必要だと考えます。 柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

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