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精神疾患へのアプローチ再考

柿谷正期

Alternative Approaches to the Treatment of Mental Disorders
By Masaki Kakitani
An overview of the treatment history for mental disorders gives us the impression that they were incredibly unscientific and ineffective. For a start, water therapy, drowning therapy, bleeding therapy and spinning therapy occupied prominent places in their time. More recently, insulin coma, metrazol convulsion, forced electroshock, lobotomy and present day neuroleptics focus, according to Whitaker and Gosden, upon ways of punishing the patient. Along side these, moral treatment was considered to be humane and effective. The author suggests that Hoffer's approach is promising and safer. The author also hints that there is the possibility that autism might be cured or improved by an elimination diet and that some mental disorders' underlying causes can be traced to hypoglycemia and other physical symptoms. Scientific reports point out that thought disorders related to schizophrenia are often related to milk products. By avoiding such foods these thoughts may be improved. The author suggests going back to the practice of old time moral treatment which emphasized warm interpersonal relationships. What a patient needs is not punishment in the name of treatment, but need-fulfilling and caring relationships.
Key words: mental disorder, neuroleptics, lobotomy, autism, moral treatment, niacin

はじめに

  旧ソ連の精神科医が、統合失調症と診断された患者に対して施している治療は、ある種の拷問であるとの見方が1980年代に西欧諸国に広まった。1970年代にソ連の精神刑務所に政治的理由で幽閉されていたロシアの科学者の一人が、ハルドールを処方され、その恐怖体験について述べている。

「日が経つにつれ私は自らが知的、道徳的、情緒的に崩壊していく恐怖を体験した。私の政治問題に対する興味は急激になくなって行った。そして、科学的問題に対する興味もなくなって行った。それから自分の妻や子どもに対する興味すらなくなって行った。」(Gosden, p.219)

ハルドールはソ連が作り出した抗精神病薬ではない。アメリカが作り出した薬である。そして1955年には米国市場で抗精神病薬の24パーセントを占めていた。ソ連で使えば拷問で、米国で使えば治療薬ということなのだ。ソ連で人々を無気力にするために使われている同じ薬が、他の国では患者を癒す薬として使われている。ちょっと視点を変えてみると、精神疾患の薬物療法は、国連の定義する拷問ではないのだろうか。薬物療法だけではなく、それに先立つ精神疾患の治療の歴史は、問題だらけと言えるような状態である。その実態を概観してみよう。米国を中心に精神病の治療の歴史を見、その後日本の歴史にも触れようと思う。国によってはベンゾジアゼピン系の睡眠薬ハルシオンを認可していない国もあり、国によって若干の対応の差はあるものの、他の先進国での治療の歴史はそれほど変わったものではなく、米国の治療の歴史を見れば、世界全体の動きが見えて来る。ロバート・ホイタカー(Robert Whitaker)はアメリカの精神疾患治療の歴史を4期に分けて、1750〜1900年を「混乱期」、1900〜1950年を「暗黒期」、1950〜1990年代を「混乱期への回帰」、1990年代〜今日までを「狂気の薬物治療期」としている。その分類に従ってそれぞれの期の特徴を概観してみよう。精神疾患の治療の歴史をたどってみると、あるものは実に残酷としか言えないものがある。昔こんな治療が行なわれていたのかと唖然としてしまう。これから100年後、今の治療を知って、やはり今の治療のやり方に唖然とする人も少なくないのではなかろうか。

混乱期(1750〜1900)

  
最初のモラール・トリートメント(道徳療法)をおこなう精神病院がアメリカで開設されたのは1817年であった。良好な結果を生み出し、退院する患者が増えていった(Whitaker、p.27)。モラール・トリートメントは原則小規模で多くても250人以下で、自然に触れる機会があり、患者は花壇の手入れをし、園芸にいそしむことができた。職員との人間関係は温かく、友好的で、職員は共に食事をして係わるのが普通であった。日中は忙しく活動しているので、狂った考えをしなくてすむようになっていた。講演会も音楽会も企画され、レクリエーションや教育の機会が提供されていた。こうした施設の施設長は医師ではなかった。このような施設で患者の50%以上が改善して退院するようになっていた。施設によっては60%、80%がよくなって退院をしていたとの報告もあった。
  1844年アメリカでこのような施設の運営を規制する法律が通過して、施設の長は医師でなければならなくなった。このときからそれまで有効な治療を施していた施設が悪化の一途を辿ることになる。アヘンやモルヒネが治療薬として使われるようになり、薬物による化学的な拘束がやがては身体的拘束をも受け入れられる土壌を作って行った(Whitaker、p.29)。
  1874年までに精神病院は巨大化して、432人の患者が平均的となった。3分の1の病院は500人以上の患者を収容し、ある精神病院は1000人を越す患者を収容していた。次第にリクリエーション、教育的なプログラム、観劇は病院から姿を消すことになる。クエーカー教徒が意図した施設とはかけ離れたものとなり、モラール・トリートメントは行なわれなくなった。
  精神疾患の治療に大きな打撃をもたらしたものは南北戦争後であった。自らのアプローチをより科学的であると自認する神経学を専門とする医師たちが、これまでの精神病の治療のあり方を非科学的と評し始めた。精神病院もこれまでの治療方針を新しい、より科学的なものにするという決意を表明し、それまでの愛と共感によって内側から治癒力が生じる援助を提供するという理念が失われて行った。アメリカではここから精神病治療の暗黒時代が始まる。

暗黒期(1900〜1950)

チャールズ・ダーウィンの従兄弟にあたるフランシス・ガルトン(Francis Galton)は、資産家の家に生まれ、遺産を相続してゆとりのある生活ができる身分であった。彼は優生学に興味を抱き、当時の農業従事者が優れた植物を交配させて優秀な種子を作ること、また家畜の交配を意図的に行なうことによって優秀な子孫を残す方法が成功していたことを理由にして、人間の中にも子孫を残してはならない者がいることを主張するようになった。精神疾患を持つものに対して、結婚を禁じ、不妊手術を施す動きが始まった。「間違った科学は間違った法律の土台となった」(Whitaker、P.59)。第二次大戦の前には、強制的な断種手術を行なわれた人は、ドイツで40万人、米国で3万人と言われている(Johnstone,p.155)。ナチスドイツは、1940年に精神病患者をガスで虐殺するようになり、1年半で7万人の精神病患者をガスで虐殺した(Whitaker、p.66)。 1930年代のアメリカ、ニューヨークの精神病院の患者の死亡率は、一般の5倍であったと報告されている(Whitaker、p.68)。なかでも20歳から24歳までの若者の死亡率は、一般の同年齢と比較すると15倍であった(Whitaker、p.69)。優生学の関与を否定できない。 1930年代にアメリカ医学会(AMA)は、精神病院の調査を開始した。ジョン・グリムズ(John Grimes)がその任にあたり、174の州立病院を直接訪問し、調査した。その報告は暗いものであった。病院は入院患者で満杯状態、病院の職員は看守のようであった。格子がつけられ、閉鎖病棟で、食事は貧弱で、治療的ではなく、単に社会生活にふさわしくないという理由だけで患者が法的に収容されているというのが実態であった。この報告書は改訂が求められたが、それを拒否したグリムズは解任された。
インシュリンコーマ療法はビエナの精神科医セイケル(Manfred Sakel)によって考案され、70パーンセトが治癒に至り、18パーセントが著しく改善したと報告された(Whitaker、p.85)。患者は20分から2時間、意識不明の状態で放置され、グルコースで意識を回復させられる。これによって大脳皮質に損傷が起こり、その損傷は不可逆的であるとの反論が寄せられるようになった。インシュリンコーマ療法は、有害であるとの報告がときどきなされていたにもかかわらず、1950年代の半ばまでは、統合失調症の主な治療法とされていた。
  メトラゾール発作療法は、メデューナ(Ladislas von Meduna)が1935年にその効用を発表して注目された。てんかんと統合失調症が同時に存在しないのなら,てんかんを誘発することで統合失調症を治療できると考えられた。半数は改善すると報告されたが、何の効果もないと発表するものもあった(Whitaker、p.93)。患者が体験する恐怖が何らかの変化をもたらしていると説明されることもあった。患者に恐怖を体験させる病院は、治療目的と称して患者に苦しみを与える場所となった。1939年にはアメリカの州立病院の70パーセントで、患者の意思に反して実施されていた(Whitaker、p.96)。
  統合失調症にはインシュリンコーマ療法、そううつ病にはメトラゾール発作療法が適しているとされていたが、この二つを順番に施す療法がなされるようになった。そのうちけいれん発作そのものを電気で作り出す電気ショック療法がイタリアの精神科医サーレッチー(Ugo Cerletti)によって考案された。電気ショックによってもたらされる記憶喪失について、インシュリンコーマ療法を発案したセイケルは、知的レベルが低下することを指摘し、「記憶喪失が大きければ大きいほど、脳の損傷は大きい」としている(Whitaker、p98)。電気ショック療法は患者の同意なしで行なわれた。ときに患者の行動が受け入れられないものであると、2倍強力な電気ショック療法が行なわれた。1940年代から1950年代にかけてアメリカの多くの精神病院では、電気ショック療法は普通の治療法となったが、患者にとっては拷問の手段としてとらえられることが多かった。  インシュリンコーマ療法、ソトラゾール発作療法、電気ショック療法は、脳全体に影響を及ぼすもので、例えれば時計を修理する目的で、金槌で時計をたたくようなものであった。しかし、この時期に、より科学的とされる療法が精神病院で行なわれるようになった。モニッツ(Egas Moniz)によって発案された前頭葉ロボトミー(脳葉手術)である。彼は1949年にノーベル賞を受賞している。  ロボトミーによって悪くなった患者はいないとモニッツは報告しているが(Whitaker、p.114)、事実はそうではなかった。アメリカではフリーマン(Walter Freeman)がワッツ(James Watts)と共にロボトミーを手がけ、その結果を良好と報告しているが、その後の状態を調査してみると、喪失したはずの症状をぶりかえし、何度も手術をする必要が出ており、結果は必ずしも良好なものではなかった(Whitaker、p.117)。アメリカでは1936年から1955年の間に5万人もの人がこのロボトミーの手術を受けたと言われている(Johnstone,p.154)。  フリーマンはトランスオービタル・ロボトミーを開発し、短時間で多くの手術を可能にした。麻酔を使わずに、電気ショックで眠らせている間に、手術用のアイスピックを両目の上に突き刺すというやり方である。

混乱期への回帰(1950〜1990年代)

1950年代になると、薬物療法が主流となった。クロルプロマジン(米国商品名 ソラジン、日本商品名 ケセラン、セレネース)がアメリカ市場に紹介されたのが1954年5月であった。この薬は1800年代にはフェノチアジンとして知られていた。この薬から、1950年にクロルプロマジンは合成された。フェノチアジンは当初合成染料であったが、1930年代に豚の寄生虫駆除に使われるようになった。当初は脳の働きを妨げるものとして知られていたが、今や抗精神病薬として使われている。精神疾患のある者を断種手術、インシュリンコーマ、電気ショック、ロボトミーによって対処してきた精神医療の歴史のなかで、薬物療法は安価な化学的ロボトミーとして主流の地位を占めて行った。北米で最初にクロルプロマジンを使ったモントリオールの精神科医レーマン(Heinz Lehmann)は、「薬理学はロボトミーに代わる療法」になると推測した(Whitaker、p.144)。ウインケルマン(William Winkelman)は「この薬は前頭葉に対するロボトミーと同じ効果をもたらす」と言っている。この薬の副作用としてパーキンソン病に似た症状が出るので、以前けいれん発作と精神異常が共存しないと思われたことがあったのと同じように、パーキンソン病と統合失調症は共存しないのではないかと思われた。薬物療法を支持する論文が学会誌に発表され、学会誌への製薬会社からの広告収入が増大するにつれ、アメリカ医学学会の当初の薬物への検閲機能が低下して行った。ホイタカーの調査によると、論文が製薬関係者によって書かれ、それが医師の名前で学会誌に掲載されることも少なくなかったようである(p.149)。1956年と1957年に入院した患者について、カリフォルニア州精神衛生局が調査をし、薬物療法を受けた患者の入院日数は必ずしも短くないことが報告された。しかしこれは注目されることもなく、薬物療法で入院日数は減少しているとするブリル(Henry Brill)とパットン(Robert Patton)の主張が受け入れられた。
ドイツの精神科医クレペリン(Emil Kraepelin)が早発性痴呆症と名付け、後にブロイラーによって統合失調症と命名されたのであるが、1800年代クレペリンが研究していたときには脳炎の存在はまだ知られていなかった。一時期梅毒は狂気を伴う恐ろしい病気として精神科領域で治療対象であったが、抗生物質で治療できることが判明して、精神科領域から内科領域に移された。クレペリンの研究対象患者の中には、脳炎のような器質的疾患を抱えていた患者が混入していたというボイル(Mary Boyle)の指摘は看過できない(Whitaker、p.165)。
統合失調症の診断の正確さについても異論がある。1940年代の英米の精神科医の診断を比較してみると、アメリカの精神科医の69パーセントが統合失調症と診断したのに対して、イギリスの精神科医の2パーセントしか統合失調症と診断しなかったという調査がある(Whitaker、pp.168)。血液検査やX線のような客観的な検査方法がないので、医師、病院、国によって違った結論が出ているのが実情である(Johnstone,p.77)。
1973年スタンフォード大学心理学部教授、ローゼンハン(David Rosenhan)は他の7人とともに、12の病院で診断を受け、患者のふりをして入院に成功した。精神病院に入院している患者はローゼンハンを偽患者と見分けたが、病院の職員は見分けることができなかったと言う。こうした経験から精神病の診断は有用でなく、信頼できないとし、正気と狂気の区別がつけられなくなっているとも言われている。黒人と白人、持てるものと持たざるものの間にも、診断の相違があることが指摘されている。黒人や貧者はどちらかと言えば、統合失調症と診断される確率は高い(Whitaker、pp.171)。抗精神病薬のもたらす副作用は看過できない問題点である。「化学的手錠」(Whitaker、p.180)という言葉が、頭脳の自由が奪われて独房に入れられている感じを表現している。抗精神病薬は症状を慢性化させ、取り返しのつかない脳の損傷と、早死にをもたらすと警告されている(Whitaker、p.181)。薬物療法を受けていない患者の再発率は7パーセントで、薬物療法を受けている患者の45パーセントが再発したと報告されている。向精神薬の影響を受けている脳のほうが、精神病的症状を現しやすい。なかでもプロリキシンは最悪である。薬の離脱は困難で、しばしば吐き気、下痢、頭痛、不安、不眠、筋肉痙攣が出現する。アカシジアと呼ばれる副作用は、プロリキシンとハルドールに見られる。精神病患者は暴力的になると通常思われているが、抗精神病薬が開発される前はそうではなかった。1955年以前に病院を退院して犯罪を犯した人は、一般人の犯罪者と変わらない割合であったが、1965年〜1979年に調査されたものでは、精神病院の退院者のほうが、一般の人の犯罪率よりも高いと報告されている(Whitaker、p.186)。 薬の影響は否めない。
ハルドールを使った治療を受けている患者の75パーセントがアカシジアの副作用に悩まされている。UCLAの精神科医ヴァンプッテン(van Putten)はそう指摘している(Whitaker P.188)。精神病患者の自殺の79パーセントはアカシジアの副作用に関連している(p.187)。プロリキシンの量が多いと自殺率が高くなり、ハルドールが患者を攻撃的にしていることも知られている(Whitaker、p.210)。 1959年に遅発性ジスキネジア(TD)という副作用が報告され、これは薬を離脱した後も脳障害として持続することが判明した。舌が前後左右にひとりでに動く症状も含まれている。薬物療法を開始して1年以内に5パーセントに発症すると言われるが、5年以内に38パーセントという数字を上げている人もいる(Johnstone,p.180)。この副作用を併発している患者の44パーセントは、自分の動作異常に気づいていないともされる。薬物療法は前頭葉を萎縮させ、脳のニューロンを破壊している。遅発性ジスキネジアは、長い間隠されていて、1980年にはじめて書籍で紹介されたとジョンストーンは指摘している(Johnstone, p.179)。問題が指摘されてから25年後のことであった。それまでは問題を隠そうとする体質があり、問題を過小評価する傾向があった。この薬が導入されて以来、世界的規模でみると8600万人もの人がこの副作用に悩まされているので、歴史的には最大の薬害であると指摘する者もいる(Johnstone,p.180)。
薬物療法を受けた患者の早死にはあまり知られていないが、体重増加が伴いやすいという事実から、高脂血症、糖尿病などを併発しやすいことは容易に推測できることである。向精神薬悪性症候群(NMS)は聞き慣れないことばであるが、関係者にはその存在が知られている(Jonstone,p.180)。この状態になると三分の一は数日で亡くなると言われている。特に多剤投与で発症する副作用である。筋肉硬直、呼吸困難、心臓の速鼓動、高熱などがその副作用であるが、突然死として知られているものも含まれる。
科学の名を借りて非科学的なことが精神病の治療として行なわれてきた。ラッシュは血を抜くことで狂気を治療できるとした。コットンは患者の歯を抜くことで、狂気を引き起こしているバクテリアを取り除けると主張(Whitaker、p.196)。セイケルはインシュリン・コーマ療法で病変した脳細胞が治療できるとした。モニッツは前頭葉を切除して治療は成功だと主張した。フリーマンとワッツはトランスオービタル・ロボトミーを行い、これは簡単に施術ができるとして、大勢の患者を外科用のアイスピックで手術した。やがて化学的ロボトミーの時代に突入した。ドーパミン仮説で薬物療法に拍車がかかった。1974年にはバウアーズが、薬物療法を受けていない患者のドーパミン代謝に異常がないことを報告している。そして、薬物治療を施すとドーパミンが増加することが報告された。統合失調症の患者の死体を解剖して、ドーパミン受容体が健康な人よりも50バーセント以上あると報告されたが、患者は全員薬物療法を受けていたのである。同様に、1989年にはドイツの研究者たちは、受容体の変化は医原病変であると結論づけている(Whitaker p.198)。1994年にケインは、ドーパミン仮説は信頼できないと結論づけた。
薬物療法を止めた患者の状態が悪化することから、薬物療法の効用が説明されることがあるが、薬物療法を受けている患者が悪化するケースは16パーセントで、薬物療法を止めた患者が10カ月以内に悪化する率は50パーセントとされている。しかし、薬物療法を受けていない患者が悪化する率はもっと低いとされる(Whitaker、p.200)。薬物療法を突然中止した場合の悪化は、徐々に離脱したのに比べて3倍もあると報告されている(Whitaker、p.201)。悪化率が一番低いのは、薬物療法を受けていない人々である。つまりこれは単に体がその薬に依存してしまって、薬なしの生活が困難になっていることを示しているのではなかろうか。もしも長期的な改善を望むなら、向精神薬による治療は、治療の選択肢にはならないし、統合失調症の治療に薬物療法が有用であるという証拠はないとされる(Johnstone,p.181)。
既述したとおり、旧ソ連では向精神薬を体制に反逆する人々に使っていることが1969年には判明した。アミナジンとハロペリドールが向精神薬のなかでも、人に拷問を加えるためにもっともよく使われる薬であった。薬物療法は拷問の中でも最悪なものと考えられていた。精神科の治療以外でも、向精神薬は、扱いにくい人々を静かにさせるために使われていた。知的障害者、高齢者、非行少年たちがそのような薬物投与の対象とされてきた。インド、ナイジェリア、コロンビアのような未開発国の精神病患者の方が、開発国よりも回復率が高いことが報告されている。WHOも開発国で統合失調症になれば、完全な回復は望めないと予想している。未開発国の回復率が高いことが1992年にWHOから発表されている。貧しい国ではわずか16パーセントの患者だけが薬物療法を受けているが、裕福な国では61パーセントが薬物療法を受けている。患者に有害なことをしてはならないという医学の精神が薬物療法により損なわれている。

狂気の薬物治療期(1990年代〜今日)

製薬会社が利益を確保するためには、薬の特許が切れる前に新しい薬が用意されなければならない。リスペリドン(リスパダール)が米国のFDAに認可されたのが、1993年であった。ボリソン(Borison)は1992年にリスペリドンの有用性について論文を書き、彼の論文はその後しばしば引用された。これに先立ちボリソンは1984年に製薬会社からの助成金を得て、ソラジン(日本商品名 ウィンタミン、コントミン)がよりよい結果をもたらすと発表した。しかし, FDAの調査によると、このとき実施されたという病院にはソラジンのストックがなかったことが判明している。データーの捏造であったのだ(Whitaker、p.266)。この同じボリソンがリスペリドンのデーターをやはり捏造していることが知られるようになった。ボリソンは起訴され、15年の有罪判決を受ける。ただしこのときには彼のデーター捏造が有罪判決に至らせたのではなかった。データー捏造は否定しがたい事実ではあったが、別件で有罪とされている。ボリソンの裁判は進行中ではあったが、1997年に彼の11番目の論文が掲載されて、リスペリドンによって統合失調症がいかに改善したかの報告がなされた。ホイトカーは著書(2002)の中で、アメリカ社会で行なわれてきた精神病患者の治療がいかに狂っているかを告発している。アメリカ社会で行なわれていることは日本にも世界にもその影響が及ぶものである。新薬は次々に日本でも認可されている。精神病患者を抱えた家族はアメリカで新薬が開発されたと聞くと、早く認可して欲しいと訴える。薬物療法で家族が癒されることを願ってのことであるが、薬物療法が真に癒しをもたらしているのではなく、むしろ、病状を変化させ、場合によっては副作用によって生きているのがつらい状態がもたらされる可能性に気づかないでいる。柿谷正期は2002年12月にリスパダールを処方された青年の自殺という現実に直面した。もちろんこの薬以外にロヒプノール、セロクエル、トレドミン(SSRI)が処方されていた。この薬だけを自殺と結びつけることはできない。しかし、ホイトカーが指摘するように、認可される背後の研究に、研究者と製薬会社との二重関係が存在していたことは否めない。薬の問題点はまだ一般に知らされていない。ホイトカーが指摘するように、145人の患者に対して1人の割合で死亡した事実はどの専門誌にも報告されていない(Whitaker、p269)。ブレギンとコーヘン(1999)は、「精神科領域の調査研究は信頼できない」と悲しい現実を指摘している。こうした研究のほとんどが製薬会社によって支援されていて、その結果は製薬会社に都合のよい内容となっていると指摘している。二重関係という倫理的問題が存在していることを見逃してはならない。
ゴズデン(2001)はオーストラリアで起こっていることについて憂うべきこととして警告している。統合失調症を早期発見し、薬物による予防治療をしようとする動きである。薬物がもたらす病気について副作用が明記されおり、それによると例えばクロザピンには幻聴や妄想のような精神障害が起こる可能性も指摘されている。薬の引き起こす精神障害が指摘されているのに、予防のために薬物療法をしたら、その薬の引き起こす副作用で精神障害が発症することをどう考えるのだろうか。そして薬物を急に止めると精神障害が現れることについてはどう考えているのだろうか。調査研究によると統合失調症の危険の高い青年に予防的薬物療法をすると、治療開始後6カ月で40パーセントの人が精神障害を発症し、48パーセントが12カ月以内に発症するという(p.243)。将来統合失調症になる可能性が高いとされる青年を見分ける基準の一つが「疑い深いこと」とされた。そして厳密にこの基準を当てはめて行くと、50パーセントが危険範囲に入るとされる。ゴズデンはこの青年たちが放置されていても恐らく精神障害を経験することはないであろうと主張している(p.243)。


日本の歴史

これまで米国の精神医療を概観してきた。日本でも類似した道筋を辿って来たが、日本には固有の問題もある。わが国には、精神障害者の収容施設がなかったために、放置され、座敷牢や、神社、寺院に収容されている時期があった。京都の岩倉村では、11世紀頃から、自然発生的に精神障害者の家庭保護が行なわれるようになった。1881年には岩倉癲狂院が設立された。これが後の岩倉病院である。わが国の精神病院としては1875年に京都の南禅寺の境内に京都府癲狂院が設立された。1878年には東京小石川に私立の加藤癲狂院が開業された。1879年上野公園内に東京府癲狂院が設立された。これは都立巣鴨病院、さらに都立松沢病院の前身である。1879年東京大学ではじめてドイツのベルツによる精神医学の講義が行なわれた。
1883年相馬事件が社会的な話題となった。果たして病人でないものを病人とした陰謀なのか、その死は毒殺かいなかが話題となった。1895年に裁判で決着がついたのであるが、精神病者の監禁についての取り締まりが必要とされて、1900年に「精神病者監護法」が成立した。しかし、これは治療のためというよりも、社会からの隔離が法的に認められたというに過ぎなかった。
1901年巣鴨病院長であった呉秀三が、「無拘束の理念」を発表し、「精神病者監護法」を批判した。コノリー(Conolly)が1800年代に確立した「無拘束の原則」と同じものである。1918年呉秀三は、私宅監置の実態を調査し、精神病者は「この病を受けたという不幸の外に、この国に生まれた」という不幸を経験していると日本の貧弱な精神医療を指摘した(小坂)。
1919年「精神病院法」が制定された。依然として取り締まり保護中心ではあるが、都道府県立精神病院の設立が促進された。終戦後の1945年から中断していた公立精神病院の設立が再開された。そして治療体制の整備を目的とする「精神衛生法」が1950年に制定された。ここに至ってやっと私宅監置が廃止された。この後間もなく向精神薬が治療に積極的に取り入れられるようになった。 1964年「ライシャワー刺傷事件」が起こり、精神障害者への取締りが強化されるようになった。一方で措置入院制度を中心とした精神病院への収容主義に対する批判から、1965年に「精神衛生法」の大改正が行なわれ、保健所の精神衛生業務の明確化、精神衛生センターの設置、通院医療費公費負担制度などが新設された。
1984年には「宇都宮病院事件」が起こり、精神病院内での数々の不祥事が明るみに出た。国連やNGOの合同調査を受け、日本の精神医療の大きな変革が求められた。1987年、「精神衛生法」が大改正されて、「精神保健法」と改称された。この法律では、精神保健指定医制度の新設、精神医療審査会制度の新設、社会復帰施設の法定化、入院者の人権擁護等が盛り込まれた。
1993年、さらに一部見直しがなされ、1995年には「精神保健法」が「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(通称、精神保健福祉法)に改正され、精神障害者も法的に障害者として認知されるようになった。その後1999年、さらに一部改正が行なわれ、地域医療が特徴づけられていった。わが国でも1950年代に向精神薬が精神病治療に積極的に用いられるようになり、今では精神病の治療は薬物治療が主流となっている。いったん薬で治せるという考えが固定化すると、精神(心理)療法に時間をかける精神科医は年々少なくなっていっていく。ここで精神疾患の治療の歴史のなかで見逃されている、より安全な一つのアプローチに触れよう。


ホッファーの試み

エイブラム・ホッファー(Abram Hoffer)は、1950年代から統合失調症の治療の改善に取り組んで来た。ホッファーは最初医師ではなく、化学の分野で博士号を取得していたが、統合失調症の治療の改善に取り組むためには医師の資格を持つ必要があると考え、妻の支援を受けながら医学部に入学し、精神科医となった。統合失調症の症状は、幻覚や幻聴を伴い、当時知られていた麻薬LSDやメスカリンを使用したときの症状と極めて類似していた。統合失調症の患者の体のなかでLSDと似たような物質が作られているではないかとの仮説を立てて、検証することにした。その物質はインドール核を持った物質で、メスカリンに似たような物質であるに違いない。やがてアドレナリンが酸化してアドレノクロムに変化するとLSDに似たような物質になることを発見。安全な方法でこの問題に対処するにはどうしたらよいだろうか。彼の生化学の知識が活かされて、ビタミンB3(ナイアシン)を投与することで対処できることが判明した(Hoffer, 1998)。ビタミンB3は生体内物質であるので、薬が生体内異物であるのに比べより安全であるということである。ホッファーが提供している事例で考察してみよう(Kelm)。

表1
  3/26 4/29 5/30 メスカリン
総指数(TS) 46 29 4 63
知覚指数(PerS) 12 8 0 19
妄想指数(PS) 1 0 0 1
抑鬱指数(DS) 12 7 0 8
比較指数(RS) 3.8 4.1 8.0 7.9
ショートファーム(SF) 4 2 0 2

 


事例1 23歳、女性
3月26日の時点で紹介されてきたクライアント(23歳女性)のHODテスト結果の数字である(表1参照)。総指数30以上は問題となるところ46である。知覚指数12ということは、知覚異常がいくつかあることを示唆している。ビタミンB3とビタミンCを摂取し始めて4月29日には数値が改善しており、5月30日にはまったく問題がない数値になっている。ここでクライアントにメスカリンを摂取してもらったところ、数字が一気に異常値を示すこととなった。このことから、ビタミンB3とピタミンCの摂取がクライアントの体内でメスカリン様物質が生成されるのを防いでいることが推測される。


HODテスト

ホッファーのHとオズモンドのO をとり二人の医師の頭文字をつけた診断(Diagnostic)テストである。日本では柿谷正期によって日本語に訳されている。『HODマニュアル』には、実施の方法と採点、指数、信頼性と有効性、HODの標準化、事例等が順を追って述べられている。数値をあげながら9つの事例が取り上げれられている。テストの質問は冊子式とカード式があって、カードは書かれている内容に思い当たるものがあるかないかを選別する。クライエントがするのはここまでで、実施者はカードの裏に書いてある番号を採点表に転記して、テンプレートをかぶせて数を数えるという簡単なものである。早い人で8分、遅くても20分あると145枚のカードを選別できる。冊子式のほうがカード式よりも記入する手間がかかる分だけ、時間は少しかかるようである。専門的なことを要求しない簡単なテストである。作成者のホッファーは一度使い始めたら、ずっと使われるようだと言っている。質問内容には文化の違いが現れるようなものがないので、米国の標準化をそのまま参考にできるものである。1個人の経時変化を見るだけで意味があるものなので(田畑2001)、日本での標準化には現段階ではこだわっていない。


事例2 35歳、独身男性
   統合失調症と診断され2年前より薬物療法を受けている。3月の時点で使っている薬は、リスパダール、アーテン、ミラドール、ルポックス、レキソタンであった。4月、6月そして翌年の7月のHODテストの結果を表2で見てみよう。

表2
  4/7 6/22 翌年の7/30
総指数(TS) 69 35 13
知覚指数(PerS) 13 5 1
妄想指数(PS) 5 1 1
抑鬱指数(DS) 8 6 0
比較指数(RS) 8.6 5.8 2.6
ショートファーム(SF) 7 3 1

 

薬を併用しながら、ビタミンB3(ナイアシン)とビタミンCをそれぞれ一日3グラム摂取。5月には総合ビタミンB(B1レベルで一日150mg)を摂取し、6月にはビタミンB6を250mg単体で摂取している。調子の良さはHOD テスト結果にも現れているが、主観的な感じを聞いてみると、昔は30パーセントで機能していたのが、今は60〜70パーセントで機能していると応えている。主治医に薬を減らしてくださいとお願いした結果、5月の時点では薬はリスパダール、ルポックス、ミラドールの3剤に種類も量も減っていた。薬の離脱は順調であったが、最後のリスパダールの離脱が困難であったようだ。

事例3 20歳、独身女性
大学生。夏休みに入る前にカウンセリングを受けにきた。6月10日の時点の数値は、調子の悪さが推測できる。統合失調症と診断される可能性のある状態であった。いつ頃からこのような状態であったかと尋ねると、小学生の頃からということであった。しかし、精神科にかかることはなかったので、薬物療法は受けていなかった。夏休みに入る前にホッファーの取り組みついて説明し、親の同意を得て栄養療法を開始。ビタミンB3とビタミンCを一日3gそれに亜鉛を少量摂取。夏休み明けでHODテストを再度してもらったところ数値は改善していた(表3)。米国、カナダでの標準化によると20歳の青年の総指数38以上は注目すべき数値であり、知覚指数9以上は知覚異常があることを示唆する数値である。このクライアントが薬物療法を受けていなかったので、治療効果を加速的に引き出すことができたと言えよう。

表3
  6/10 9/22
総指数(TS) 79 14
知覚指数(PerS) 19 3
妄想指数(PS) 3 0
抑鬱指数(DS) 13 5
比較指数(RS) 5.8 2.8
ショートファーム(SF) 6 2

 


以上は統合失調症が栄養素によって改善する可能性を示唆する事例である。次に自閉症が治癒した例を挙げよう。
事例4 自閉症
カレン・セルーシー(2002a)は息子の取り組みを著書にした。雑誌Parents Magazineにそのまとめを掲載している。「息子の自閉症が完治した」という記事のなかで、息子マイルズが15カ月までは正常な成長をとげていたのに、突然変化して行ったことを記している2002b)。
「彼は覚えていた言葉を口にしなくなったのです。ウシ、ネコ、ダンスといった言葉を言わなくなって、彼は自分の中に閉じこもっていきました。」


さらにこう記している。
「突然、私たちの幸福な小さな息子は、私たち親と3歳の姉を認識していないようになりました。マイルズは目を合わせず、指さしや身振りで意思の疎通をすることすらしなくなりました。彼の振る舞いはますます奇妙になりました。例えば、彼は床に自分の額をこすりつけたり、(自閉症の子どもによくありがちな)爪先立ち歩きをしたり、うがいをするような奇妙な音をたてたり、ドアの開閉を繰り返したり、砂場の砂のカップを満たしたり空にしたり同じことを繰り返す動作をするようになりました。彼は抱きしめられたり、可愛がられたりするのを拒否して、悲痛な叫び声をあげることも多くなりました。また、彼は慢性的な下痢をするようになりました。」(2002b)
乳製品に含まれるカゼインの問題点に気づいて、カゼイン抜きの食事に切り換え、息子の変化に気づいたカレンは、インターネットで問い合わせたところ圧倒的な数の返信メールを受けて、さらに調査を進めた。カゼインと自閉症の関係は科学的に専門家も取り組んでいることが判明したのです。
「夫は化学で博士号を持っています。彼はインターネットで支援グループの親が提供している研究記事を入手し、注意深く検討しました。彼は私に説明してくれました。自閉症児のあるタイプは、牛乳の蛋白質(カゼイン)をペプチドに分解し、これが幻覚誘発剤のように脳に影響を与えている。少数の科学者、しかも、その何人かは自ら自閉症児の親であるが、自閉症児の尿に麻薬を含む物質(アヘンとヘロインを含む物質)を発見している。研究者は、これらの子どもがペプチド分解酵素を持っていないか、ペプチドが消化される前に何らかの理由で血流に漏れこむのではないかとの仮説を立てているというのです。」(2002b)
このような情報を入手した夫婦は実際にカゼイン抜きの食事が有効かどうかを調べることにした。
「私は天性の懐疑論者で、私の夫は研究者ですから、私たちは、牛乳がマイルズの行動に影響したという仮説をテストしようと決めました。私たちは、ある朝彼に2、3杯の牛乳を与えました。その日は終日、つま先で歩き、床に自分の額をこすりつけ、奇妙な音を出し、私たちがほとんど忘れていた他の奇妙な行動をするようになりました。また数週間後に、ちょっとした再発行動が見られましたが、マイルズが保育園でチーズを少々食べたことが後で分かりました。乳製品が彼の自閉症に関係があることを私たちは完全に確信するようになりました。」(2002b)
さらなる調査で小麦粉に含まれているグルテンにも問題があることを知り、カゼインとグルテン抜きの食事を作るようになった。
「グルテンなしの食事にして48時間以内に、1歳10か月のマイルズは初めて固形の便をしました。そしてバランスを保ち、手足の動きが顕著に改善されました。1、2ヶ月後に、彼は話し始めました。 例えば、キリンを「キュリン」と呼んだり、象を「ジョウ」と呼んだりしました。彼はまだ私をマミーとは呼びませんでしたが、私が保育園へ彼を迎えに行ったとき、彼は、私のためにとっておきの笑顔をしてくれました。しかしながら、マイルズの行きつけの医者たち(彼の小児科医、神経専門医、遺伝専門医、そして消化器専門医)は、まだ自閉症と食事の関係を嘲笑していました。たとえ食事療法が自閉症の治療にとって安全で健康なやり方だとしても、多くの科学的調査が行われ確証が得られなければ、医学界のほとんどはそれを試みようとはしないでしょう。」(2002b)
カレンがカゼインフリー、グルテンフリーの食事に取り組みはじめて、マイルズの状態は目に見えてよくなって行った。そしてある日、感動的なことが起こったのである。
「マイルズがとてもよくなっていたので、私は彼の変化を見たくて、毎朝ベッドからほとんど飛び起きんばかりです。ある日、マイルズが2歳半のとき、彼は恐竜のおもちゃを掲げて、私に見せました。「見ちぇ、マミー、きょうゆうよぉ!(恐竜よ)」驚きのあまり、私の手は震えました。「あなた、今私をマミーと呼んだのね!」。彼は微笑み、私をじっと抱きしめてくれました。」(2002b)
そしてマイルズは完治の宣言を受けるのである。
「マイルズが3歳になるまでに、彼のかかりつけの医者はみな、彼の自閉症が完全に治った事を認めました。彼は社会的能力、言語能力、自助能力、そして運動能力において、実年齢レベルよりも8か月以上であるという診断を得、普通の幼稚園に、特別な教育補佐なしで入園しました。彼の担当教師は、マイルズがクラスの中で最も朗らかで、おしゃべりで、積極的に参加する子どもの一人だと話してくれました。現在ほとんど6歳になりますが、マイルズは1学年クラスでとても人気のある子どもです。4年生レベルの本を読み、友だちつき合いがよく、最近クラスの演劇で演技力のあることを示しました。彼は、姉を深く慕い、想像的な遊びを一緒にしています。このような遊びは、自閉症児には見られないものです。」(2002b)
カレン・セルーシーが除去食に取り組まなかったら、マイルズの完治はなかったであろう。ホッファーが統合失調症の患者の体内で麻薬様の物質が作られているとして栄養療法を提唱しているのに対して、セルーシーが取り組み、成功したのは、麻薬物質の原料を自閉症患者から断ち切ることであった。乳製品が思考異常をもたらすという研究も少なくない。
バウワーマン(Bowerman,1980)は5人の患者の事例を挙げて、乳製品を食べ物から除去することで思考異常が改善したことを報告している。いずれのケースも通常の治療では思考異常が消えず、全員が疲労感を訴えていた。乳製品のラクトースに問題があるのではないかと考えられている(Bowerman、pp.263-264)。

事例5 44歳 独身 女性 44歳の女性教師。独身。子ども時代に多動傾向があった。妄想、記憶喪失があった。4日間の断食の後、牛肉、小麦、バナナ、チョコレート、牛乳にどう反応するかを調べたところ、チョコレートとミルクに反応した。チョコレートミルクをよく飲んでいたことが分かり、これを除去して3日後に調べたときには症状は消えていた(Bowerman、P.264)。

事例6 33歳 女性 離婚 33歳女性。母親。離婚。乳房摘出手術を受けた。何年も偏頭痛に悩まされている。目覚めたときに体が麻痺していることがある。睡眠時にピンク色の象、グリーンのキリンの幻覚を見る。睡眠発作があった。ミルク、ヨーグルト、バターを1週間取らないように指示された。すると混乱はなくなり、疲労感も消えた(Bowerman, p. 265)。

事例7 27歳 女性 大学生 27歳、女性、大学生。17歳のときに統合失調症と診断され入院歴あり。子どものときに多動傾向があった。リタリンを処方された。ミルク、バター、ヨーグルトを取らないように指示された。それでもスキムミルクをこっそりとっていたので、症状はよくならなかったが、スキムミルクも止めた後数日後に症状はなくなった(Bowerman、p.266)。

事例8 37歳 女性 離婚 37歳女性。離婚歴あり。幻聴幻覚に悩まされ続けている。ミルク、ヨーグルト、バターを大量に摂取していることが分かり、それを1週間取らないように指示された。この外果物もとらないように指示された。最初の3日間は異常なほどミルクを欲しかったが、その後調子がよくなったと報告した(Bowerman、p.266)。

事例9 34歳 男性 34歳、男性。電気技師。慢性的にうつ状態に悩まされていた。物覚えが悪くなったこと、抽象的なことを考える能力が劣ってきた、考えがおかしいという訴えであった。ミルクをとらないでいると、うつ状態は改善し、興奮がおさまり、思考が改善したとの報告(Bowerman、p.266)。

事例5〜事例9はバウワーマンが挙げているものであるが、問題を起こしているのはミルクだけではないだろう。5人のうち精神異常の経験があるのは3人だけであるが、5人とも思考異常を経験している。うつ状態であればうつ病と診断し抗うつ剤を処方し、幻聴幻覚や思考異常があれば統合失調症と診断して、すぐに薬物療法をするのではなく、乳製品を除去するだけで症状がやわらぐことがあることも援助者は知っておく必要があるのではなかろうか。

その他の原因からくる精神疾患

ナイアシンで統合失調症に似た症状を持つペラグラが治ることが分かって、ペラグラ患者が精神病院に入院するケースは減った。梅毒の治療が抗生物質で治療できることが分かるまでは、梅毒は狂気を伴う恐ろしい病気として精神科領域で治療されていた。内科領域の疾患であるのに精神科領域と思われているケースは多々あるようである。甲状腺異常があるのに精神科で治療を受けている人もいる。内科事例であるのに精神科領域と思われている事例を挙げてみよう。

事例10
不安が強くて一人で外出できない主婦がいた。もうかれこれ10年、精神科にかかって向精神薬を服用しているが一向によくならない。カウンセラーの助言もあって、血液検査をしてもらったところ、産婦人科医がたまたま女性ホルモンを測定してくれた。医師がびっくりするほどの低値であった。さっそく女性ホルモンの注射をしてもらった。その日の夕方、夕食作りをしているときに、今までに経験したことがないほどルンルン気分で調理ができた。「こんなことで私は10年間も精神科にかかっていたのか」。彼女がそう思うのも当然である。精神科領域ではなく内科領域の問題だったのだ。

事例11
この男性の症状は、説明しがたい不安感に襲われることと、早朝覚醒に悩まされることであった。病院で診察してもらっても内科的な異常は発見されない。内科的な異常が見つからない場合はどこに行くのだろうか。通常は精神神経科である。しかしこの男性は精神科医であった。そんな問題ではないと思ったこの男性はたまたま自分で異常を見つけることができた。低血糖症であったのだ。低血糖症という題名の本を書いた人が副題に「医師が治療しない病気」とつけている。医師は高血糖には関心をよせても機能的な低血糖症にはあまり関心を持たない。低血糖症になると、脳細胞の唯一のエネルギー源である血液の中の糖分が低すぎて、脳細胞が機能しなくなる。不安感はその結果だったのだ(Newbold)。

事例12
うつ病と診断された男性がいた。しかし検診の結果、梅毒にかかっていることが判明した。血清検査に出て来ないセロネガティブな梅毒にかかっていてうつ病と診断されている人もいる。感染症にかかっているのにそれが見つからず、うつ病と診断されるケースが多いことを精神科医ウォーカー(Walker, 1996)が指摘している。

まとめ
 
以上精神疾患の治療の歴史を概観し、その多くが患者を治療するという名目で、実際には患者を罰するものであったこと、そしてそれは今の薬物療法にも言えることであることを指摘してきた。心理療法に従事するものは、このような知識も駆使してクライエントの問題解決に取り組めるとよい。


1.内科的原因の否定


まず内科的原因を否定することから始める必要がある。よくある内科的なものとしては貧血がある。新しい貧血検査はフェリチン(貯蔵鉄)値を測定することで貧血をチェックするのが望ましいとされるが、まだまだ一般の理解になってはいない。喉の異変を訴えるクライエントを通称ヒステリー球と呼ばれる症状としないで、貧血を疑い血液検査でフェリチン値も検査してもらうよう助言することができる。低血糖症から精神疾患と見なされるケースも少なくない(Newbold)。機能的低血糖症についてカウンセラーが知識を身につけることで大きな援助を提供することができる。甲状腺異常も精神疾患と見なされるケースがある。梅毒を始めさまざまな感染症も精神疾患の背後にあって見逃されることがある。女性ホルモンの異常も見逃せない。


2.除去食を試みる


つぎに乳製品、小麦粉等の除去食を試みて見ることである。小麦粉の除去食で子どもの多動がよくなったという報告もされている(武田)。アメリカでリタリンを処方されている子どもが500万人とも言われているが、薬物療法の前に除去食を試みてみるのも必要であろう。成人して精神疾患を持つもののなかに子どもの頃に多動のような問題を抱えていたケースも少なくなく、除去食は有効である可能性はある。通常は1週間の除去食を試みることで成果をみることができるが、小麦の影響は7カ月も残ったと報告されている(Reichelt,p.223)。


3.栄養素を使う


ホッファー(1998b)たちは、栄養療法の効果をビデオで実在人物に語らせている。ナイアシンをはじめとしたビタミンB群とビタミンCは、抗ストレス栄養素であるのでサプリメントの摂取は症状によっては有効であろう。統合失調症の改善のためには、ナイアシンは一日3グラム、ビタミンC一日3グラムがスタートラインである(Hoffer,1998)。ナイアシンの副作用についていろいろ言われているが、ホッファーは指摘されたほとんどの副作用を否定している。コレステロールの高い人がナイアシン摂取で適度に低くなるという副作用は歓迎すべきものである。ナイアシンはホットフラッシュがあるので、日本では単体では販売されていない。ナイクリンという名前で医師の処方薬として出してもらえることもあるが、ペラグラ対策のため200ミリグラム程度で、統合失調症の改善には不向きである。米国などではナイアシンを単体で処方箋なしでだれでも購入できるので、個人輸入方式で入手することもできる。ナイアシンのホットフラッシュを改善するのに、イノシトールとナイアシンを一緒にしてイノシトール・ナイアシネートにするとナイアシンと同じでホットフラッシュはない。ナイアシンアミドにホットフラッシュはないが、コレステロールにも変化をもたらさないし、たくさん摂取したいときに吐き気をもよおしてとりたい分量がとれないことがある。日本でも早くノーフラッシュ・ナイアシンが販売されるようになることを希望する。以上フラッシュ・フリー・ナイアシンの情報はホッファーからのメールのやりとりで柿谷正期が学んだものである。ホッファーはウェブサイトを持っているので、情報収集はだれにでもできる。


4.人間関係の改善に努める


グラッサーは身体的病気と身体的健康の間に不調を挙げ、ひどい不調の人は病気サイド寄りで、それほど不調でない人は健康サイドに寄っているとする。

身体的病気・・・・・・不調・・・・・・身体的健康


精神病について考えるときにこの範疇に入る病気を脳に異変が起こっているものと限定している。たとえばアルツハイマー、パーキンソン、癲癇、脳腫瘍等がその例である。そして精神病と精神的健康の間に不幸を挙げ、ひどく不幸である人は精神病サイド寄りで、それほど不幸でない人は精神的健康サイド寄りであるとする(2003、p.14)。


精神病・・・・・・・・不幸・・・・・・・・精神的健康


グラッサーによれば、たとえばDSM VIに記載される病名は不幸な人がどのような行動をするかを表したものであって、精神病の分類ではないとし、脳に異常がないものを精神病とは認めない。精神疾患の治療と予防はより良い人間関係にあり、その人間関係を通して人が幸福感を味わうことが重要であると主張する。精神的な問題で援助を求める多くの人は、ジョンストン(2001)も指摘するように、人間関係の問題である(Johnstone, pp.19)。
より良い人間関係を構築するためには、外的コントロール心理学を使わないことであるとして、致命的7つの習慣を使わない関わりかたを提唱している。7つの致命的習慣とは、「批判する」、「責める」、「文句を言う」、「ガミガミ言う」、「脅す」、「罰する」、「ほうびで釣る」、であるとする(1998)。一方、身につけたい7つの習慣は、「思いやる」、「励ます」、「傾聴する」、「支援する」、「信頼する」、「貢献する」、「友好的に関わる」であるとする(2000)。
そしてこのような関わりを実践している学校はグラッサー・クォリティ・スクールの取り組みをしており、子どもたちの規律違反の問題は減少し、成績は向上し、LD児と診断されていた子どもが1学年先の能力を身につけるようになったと報告されている(Mentley)。グラッサーは「選択理論フォーカス・グループ」を作ることで、人々のメンタルヘルスに貢献しようとしている(2003)。これはアメリカで1817年にはじまったモラルトリートメントを思わせる温か人間関係をベースにした治療に共通するものがある。グラッサ一は治療だけではなく、予防に力を入れている(2003)。精神科医でありながら、薬物療法を使ったことがないというグラッサーは、一貫してメンタルヘルスに貢献する方法を模索している。ニューヨーク州のペインテッドポーストで始まったチョイス・コミュニティ・プロジェクトは、まさに街ぐるみで選択理論を学び地域を変えようとする動きであり、いまでも進行中である(ニューヨークタイムズ)。
ロボトミーが考案された頃、これこそ精神病を治療する科学的に方法であると思われた。ところが今になって実態が分かって来ると、ひどいことをしていた時代もあったものだと思われている。何年か経った頃に、今の時代を振り返り、薬物療法と言いながら、実際には化学的ロボトミーをしていたひどい時代があったね、と言われる時がくるのではないだろうか。
今の薬物療法の流れはまさに激流で、これに飲み込まれないで生き残る人はどれほどいるだろうか。
キーワード:精神病、向精神薬、ロボトミー、自閉症、モラルトリートメント、ナイアシン、


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本論文は立正大学大学院紀要第20号(平成16年3月)(PP.71-93)に掲載されたものです。著者は立正大学教授、臨床心理士、精神保健福祉士

自閉症へのもう一つのアプローチ

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