自由になりたい...
自由 ! 人間にとって自由は、空気や水のようなもの。生きていくためには、不可欠です。人は命をかけてまで自由を求めます。「我に自由を与えよ。しからずんば死を !」あまりにも有名な言葉です。長い間、東西を隔てていたベルリンの壁は、あっという間に取り壊されてしまいました。自由になりたいという欲求は強力です。 「私は自由になりたい」。離婚を考えている主婦の方が言われました。この方が独身時代のような自由を求めていたら、当然問題がおこります。新幹線が早いのは、レールに乗って走るときだけです。新幹線が「俺は自由だ」とレールからはずれれば、自由を失ってしまいます。自由は制限つきです。制限がついたら自由でないのに、本当の自由は制限つき、自由は逆説的(パラドックス)と言えるでしょう。 自由だからと言って、窓から飛び出せば、骨折するか死ぬか、その両方です。自由とは何でも出来ることではありません。酒を飲む自由も、酒に支配されてしまうと、問題です。家に帰る途中、タバコが我慢できなくて、電車が止まるのも待ちきれずホームに降り、一服しないと次の電車に乗れない人がいます。タバコが止められないこの人は、ほんとうに自由でしょうか? 聖書の中でパウロは次のように言っています。 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。 、、、、私は本当にみじめな人間です。」(ローマ7:19、24) このように自分の心の中を見つめるときに、私たちはどれほど自由だと言えるでしょうか。 本当の自由とは、精神的、霊的なものです。イエス・キリストの言葉に、自由の逆説(パラドックス)が見られます。 「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたは本当に私の弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31、32) キリストのことばにとどまることは、自由を制限するように思えます。しかし、真理を知らなかったら自由は得られないのです。ご一緒に真理を知って、本当の自由を体験したいと思われませんか? |